年齢とは

歳の差8つ。これが、私と旦那を語る上で外せない部分だ。

というのも、8つ年が離れていると見てきた時代が微妙に合わない。もし同じ地域で暮らしていたとしても、6年通う小学校は重ならないし、小学生から高校生まで幅広い年齢を受け入れている塾にでも行かない限り、私と旦那の間に接点が生まれる可能性は低い。8つ差とはそういうことなのだ。

しかし、歳の差というのは成長するほどさほど気にならなくなる。自身が幼かったころに流行っていたものの話題なんかはジェネレーションギャップが生まれるのだろうけれど、幼い頃の私は流行りに疎い子供だった。今でこそ、ネットが身近になり意識せずとも流行を知ることができる。そうでもしないと、私は流行を知ることはない。そんなタイプなのだろう。

話が逸れてしまった。

働いたことがある人なら実感していると思うが、歳の差よりもその人自身の価値が重視されていく。特に、年功序列が崩れつつある今の時代は。

もう少しかみ砕くと、
街中で、知人に出会ったとする。その知人の傍らには未就学児が(この人は誰だろう)と不思議そうにこちらを見上げている。あなたはきっと、その子にこう言うだろう。「こんにちは。何歳かな?」――少し端折りすぎたが、なんとなくは想像できるだろうか。
一方、数年ぶりに出会った知人その人に、「おー、久しぶり。今何歳だっけ?」なんて聞くことはまず無い。

無意識に、時が経つにつれ「年齢」はその人を測る物差しにはならないと感じているからだろう。

年齢よりも、内側に価値を見出す。

高校中退のレッテルで自身を縛り上げている私にとって、これほど耳障りの良い言葉はなかなかない。昨今、年功序列や学歴など日本社会にとって「当たり前」と思われていた価値が変わりつつあるのは、一度のリタイヤですべてが無意味と化したと絶望していた私の、希望となった。

今年で25歳になる。同い年は入社3年目で仕事を任されているのだろう。そう比べながら、「私は私のペースで」なんて言い訳をして生きるのだ。年齢なんて些末なこと。それが言えるのは、結局は後悔なく死ねたときだけなのだろう。そんなことを思う。

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