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0484:小説『やくみん! お役所民族誌』[12]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」[12]

<前回>

        *

 ちょうどレジでお金を払い終えたタイミングで、みなものスマホが振動した。店の外に出てバッグを開き、画面を確認する。茂乃からの着信だ。
「電話に出るね。1時までに上に戻るから」
 そう小室に告げて、ホールを見渡す。東側が広い開放ラウンジになっていて、設置されたファブリックスツールの周りに人影はない。みなもはそちらに歩きながら受信ボタンをタップした。
「はい、みなもです」
「おばあちゃんです。今、電話いいかいね?」
「いいよ」
 ガラス張りの壁面に背を向けて、スツールに腰を下ろす。小室がビルの外に出て行くのが見えた。まだ昼休みは30分あるから、一人で上に戻るよりは近隣の散歩を選んだのだろう。
「お父さんに電話したあもん繋がらんでねえ」
「今日は魚居(ととおり)に出張だから。運転中かも」
「ああ、そげかあ」
 出張自体は嘘じゃない。ただ、父しゃんはおばあちゃんからの電話を無視することがある。決して仲が悪いわけじゃないけれど、父しゃんがおばあちゃんから少し距離を置いているように、みなもは感じていた。もしかすると、八杉の広い家を出て比嘉今に移り住んだこととも関係するのかも知れない。だから今日のおばあちゃんの電話も、父しゃんはわざと出なかった可能性があると思った。もちろんそんなこと、おばあちゃんには言えない。
 実の母親なんだから、もっと優しくすればいいのに。その分、私がおばあちゃんの話を聞いてあげよう。
「みなもちゃん、あのね、おばあちゃん今日ね、とてもいい事をしたの。老人ホームのパンフレットが届いた話は、しちょったが」
「うん、夕べ聞いたよ」
「私は元気だけん老人ホームの入居権なんていらんだあもん、震災で身寄りを無くした可哀想な人がおなって、その人に譲ってあげえ事にしただがん」
 入居権、震災、かわいそうな人、譲る。話が見えない。
 おばあちゃんの話は長い。行きつ戻りつループしながら、午前中にあった電話の概要が分かるまでに3分半かかった。
 みなもは昼前に、消費者向けの広報啓発素材をいくつも眺めていた。その多くは、悪質商法や特殊詐欺に関するものだ。世の中には本当に悪い連中がいて、平気で嘘をついてお金を騙し取ろうとしている。たまにニュースでそういうのは見ていたけれど、平和に生きてきたみなもには遠い世界の出来事のようだった。けれども午前中のプログラムで澄舞県内でも多数の被害が発生している事実を知り、あらためて世間は油断ならないなと感じていたところだ。
「おばあちゃん、それ、詐欺だったりしない?」
「最初は疑ったわね。おばあちゃん用心深いけんね。だあもん、五百島市役所の話だけんお金を払えとかパンフレットを買い取るとかそげな話じゃないって。お金はなんもかからんて。だけん、詐欺じゃないわ」
「そう、ならいいけど」
 確かにお金が絡む話でなければ、詐欺の余地はなさそうに思えた。
「困っちょおなあ人のお役に立てえなら、有り難いことだわ。善根功徳(ぜんごんくどく)は自分に返ってくうけん。みなもちゃんも優しい子だけん、きっと幸せんなあで」
「うん、ありがとう」
 みなもは5歳までおばあちゃんと一緒に暮らしてきた。父しゃんは一人っ子だ。おばあちゃんは初孫のみなもを可愛がり、たくさん抱っこや添い寝をしてくれた。みなもたち三人の孫を、おばあちゃんは本当に思ってくれている。
「充(みちる)ちゃんも歩(あゆむ)ちゃんも、優しい子だ。お父さんも小さい頃から優しかった。お母さんも良くしてごしなあ。香守の家のもんは、みんないい子だけん、みんな幸せだわ。みんなが幸せだと、おばあちゃんも幸せになあわ」
 おばあちゃんの真っ直ぐな愛情が、自分たち家族に向けられている。少し涙が滲んで、みなもは指先で目尻を拭いた。昨夜の電話は、認知症の始まりを窺わせる不穏なものだった。おばあちゃんは少しずつ、確実に年老いている。
「おばあちゃんも、長生きしてよ?」
「ひ孫を抱っこすうまで、元気でおるけんね」
「あはは、願いを叶えてあげるのに、私も頑張らなきゃね」
「そげだで?」
 祖母と孫は、電話と心を通じ合わせて、共に笑った。幸福は今、ここにあるよ。みなもはそう思った。

        *

 クソだ。世の中、クソだ。
 一人の青年が、胸のうちで黒い呪詛を繰り返しながら、峰原通りの坂を徒歩で登ってゆく。東京、大崎。秋の午後の青空は高く広い。爽やかな空気の中、青年の表情だけが暗く沈んでいた。
 今は彼を押井と呼ぼう。本名ではない、後に深網社(じんもうしゃ)内でそう呼ばれることになる名前だ。
 押井は世の中を呪っていた。生きることは、苦しい。楽しいことだってないわけじゃない、けれどもそれを上回る苦痛が、彼の人生には満ちていた。生まれて来なければ良かった、と今は本気で思っている。
 幼児期は幸福だった。嫌な出来事があってもその瞬間だけ泣いて、すぐに忘れて笑うことができた。忘れることが難しくなったのは少年期からだ。陰湿ないじめは精神に傷を刻み込む。思春期には更にひどい状況になった。昼の理不尽な出来事が夜の寝床で幾度も脳裏に蘇り、その度に乾きかけた傷口が開いていく。
 環境を変えれば人生を打開できるのではないか。そう期待して上京したが、彼のような人間に対する周囲の無理解と嘲笑は変わることがなかった。むしろ孤立無援の独り暮らしでは精神の回復する余裕もなく、傷口から血と膿が湧き、腐臭を放つ。この数ヶ月の間に、暗く澱んだものが急速に押井の心を蝕んでいた。
 クソだ。世の中、クソだ。
 彼が今この坂を不本意に登っているのも、クソみたいな状況だ。
 負うつもりのなかった借金。返せるアテもなく、指示に従うしかなかった。指定の銀行で新たに口座を作る。後日キャッシュカードが届いたら、通帳と一緒に指定の場所に届けること。今はその途上だ。
 坂道を登りながら、人生の坂道を転げ落ちているように感じる。
 自動販売機の前で歩みを止め、周囲を見回す。坂下の山手通りのビル街とは違った、人通りの少ない住宅街だ。いくつかマンションがある。この場所から電話をするよう指示されていた。
 スリーコールで相手が出た。

        *

「それでは今から道筋をお知らせしますね。すぐ近くですから」
 ブッさんが、受話器を耳に当てて他所行きの声で話しながら、ブラインドの隙間を指で押し開いて路上を見下ろしていた。薄青色の上着を着た青年──押井が自販機の前にいる。通話の相手が近くのマンションから見下ろしているなどとは気付く筈もない。
 押井に指示を出して、通話を続けたまま路地へ歩かせた。そのままぐるりと辺りを一周させることになる。
「尾行、いますか?」
 コマが席に腰を据えたまま、なんだか嬉しそうに尋ねた。彼自身、一月ほど前には同じように観察されていたのだ。
「いねえよ。それが普通だ」
 ここに「候補者」を初めて呼び出す際の儀式のようなものだ。ブッさんが支社長になってから4回、同じことをしている。尾行者を確認できたことは一度もない。それでも前任者から引き継いだ「決まり事」であり、やらねばならない。
 そもそも、支社に外から「候補者」を呼ぶなんて、リスク大きすぎねえか? 哲さんにとって、俺はまだ使い捨て扱いなのか? その疑問は今も燻っている。
「はい、目的地到着です。ごめんね、尾行をまく必要があって、遠回りさせました。今から5分そのまま待って、マンションの3階まで上がってきてください。部屋にグッドネス物産の看板掛けてますんで、そこです」
 そう指示をして、電話を切った。
「蘭さん、7分後に客が来るから、応接に通して。薄青い上着の若い奴。茶はいらない」
 蘭と呼ばれた女性社員が、はあい、と気だるく答えた。
 ブッさんは応接室兼支社長室に入り、扉を閉めようとしたところで、振り返った。
「コマ、こっちは20分かからないと思うから、終わるまで刈り込みは待っててな」
「うぃす」
 支社長室の備品は本室のそれより少しグレードが高い程度の事務用で、エグゼクティブな感じはない。応接セットも簡素なものだ。金はいくらでもあるが、所詮は捜査の手が伸びれば即座に放棄する部屋だ。それでも自分用の椅子だけは座り心地の良いコンテッサを調達した。
 その椅子に腰を下ろし、机上の書類を手に取る。これから来る青年に関する報告書だ。彼──押井が何故、今日ここに来ることになったのか。その顛末がまとめられていた。

        *

 三週間ほど前に遡る。
 池袋西口公園にほど近い路地の雑居ビル。一階一番奥に占い師が店を構えていた。屋号はAngolmois(アンゴルモア)。オーナーの龍神(たつがみ)ズメウは、日本人で初めてルーマニアの伝統ある魔術師養成施設ショロマンツァに入校を許され、主席で卒業したという。もちろん全て嘘だ。彼はルーマニアはもとより外国に行ったことはなく、生まれて以来39年間、埼玉県以外に住んだこともない。
 アンゴルモアは深網社グループの末端店舗のひとつだ。ただ、グッドネス物産のように純然たる詐欺集団ではなく、アヤシゲながら一応は表の顔を保っている。ただし、占い目的でここを訪れる客のうち条件に当てはまる人間──心が弱っている、他人に操作されやすい、金払いに躊躇がないなど──には、さらに様々な罠が仕掛けられる場合がある。表の商売をしながら詐欺のカモを探す、いわばセンサーの役割を果たしていた。
 そのセンサーに青年が探知されたのは、SNSに出稿した広告経由のメールマガジン登録からだった。広告バナーには「神秘の力で邪気を祓う!」「日本人唯一の東欧魔術正式伝承者」「初回相談(15分)無料」の言葉が躍る。メルマガ登録すると特典として初回無料相談が1時間に延長され、申込フォーマットには個人情報に加えて簡単な相談内容を記すようになっていた。
 広告表示回数に対するクリック率は0.7%程度。SNS広告はユーザーの興味関心に応じて配信される仕組みだが、それでも大半の人はスルーしていることになる。逆に言えば、クリックする者、さらにメルマガ登録まで至る者は、間違いなくこうした内容に強く興味を示す人間だ。広告が効率の良いスクリーニング機能を担っているわけだ。
 押井から偽名で──「押井」も本名ではないのだが──相談予約があり、すぐにアンゴルモアスタッフの仕事が始まった。提供された情報をもとにネットを検索し、当日までに相談者の情報をできる限り集める。それが「占い」に必要だから。
 アンゴルモアのようなインチキ占いの生命線は情報だ。事前に調べ上げた個人情報を、あたかも神秘的な力で言い当てたかのように相手に告げる。相談者はあらかじめスクリーニングされたスピリチュアルビリーバーであり、境遇をズバズバ言い当てる奇跡を見せれば、ハマる。こうした手法をホットリーディングという。
 しかし、その青年の情報は目ぼしいものが見つからなかった。住所は空欄で氏名もデタラメだから無理もない。しかし、メールアドレスを流出個人情報と照合してくれるダークウェブの有料検索サービスに掛けたところ、本当の住所氏名電話番号が判明した。それ以上の情報は更に高額料金が必要になるが、そこまでコストをかけるかどうかは面談した後に判断すればいい。個人情報をこちらが探知したと相手は知らない、これだけで、はったりをかますには十分だ。
「妙だな。あなたの名前の波動と、目の前にいるあなたの発している波動が、全然違うんですよ。これ、偽名ですよね? あなたの真の名前は……コウ……コウマ……いや違う。本当は」
 ゆったりしたグレーの道服に紫のガウンを羽織った龍神ズメウは、青年の前でタロットカードに掌をかざして眉に皺を寄せ、少し勿体をつけてから青年の本名をずばり言い当てて見せた。恐怖と驚愕の入り交じった青年の表情を観て、龍神は内心(よし、ハマった)と拳を握った。
 しかし、そこまでだった。
 事前に個人情報を調べるホットリーディングに対して、現場で相手の反応からその人間性を推察し内心を言い当てる手法を、コールドリーディングという。最初はぼんやりとした、誰にでも当てはまるようなことを言っていればいい。もともと占いを信じて来店した客は、占い師の霊感に見透かされたと喜んで、自分からいろいろと喋ってくれる。その反応を見ながら、少しずつ話に具体性を盛っていく。コミュニケーションを通じてパズルを組み合わせ相手の信頼感を構築する心理誘導技術であり、カウンセラーや探偵、もちろん占い師にも必須の技能だ。龍神はこの業界に足を踏み入れて10年近い。それなりの自信とキャリアの裏付けがあった。
 けれども、押井に対してはうまくいかなかった。面談を始めた最初から、どうにも会話のリズムが噛み合わず、コミュニケーションが取れる感じがしないのだ。開始十分ほどで早くも「本当の名前を言い当てる」大はったりを繰り出したのは、龍神の側に場の空気を持てあます居心地の悪さがあったからだ。それが結果的に失策だった。
 押井の様子はみるみるひどいものに変化した。頬が震え、目が泳ぎ、息が上がる。
 大丈夫か、こいつ。何か持病でもあるのか。倒れられたら面倒だ。
「どうかリラックスしてください。この魔術空間には、私とあなたしかいません。あなたの秘密を知る人は、他に誰もいません。あなたの苦しみは私の苦しみです。どうか、落ち着いて深呼吸を」
 促されて押井は息を吸うが、胸が動いていない。体が強張って深い呼吸ができないのだ。
 押井が予約の際に記した相談内容は、「子供の頃からずっと無神経な人々に傷付けられてきた、人生は地獄だ」という趣旨のものだった。そういう言葉は使っていないが、これはいじめだな、と龍神は当たりをつけていた。相当に深い心の傷が、こうした異常な反応の要因なのだろう。
 少し気分転換させるか、と龍神が頭を巡らせ始めた時、突然押井が立ち上がった。
「ももっ、もういいです! ごめんなさい、帰ります!!」
 押井はくるりと踵を返し、部屋の入口にかかったサテンの暗幕に手を掛ける。
「ちょっと待って」
 龍神はそういったものの、振り返った押井の表情を見て、これは止めない方がいいなと判断した。
 それでも最後に、言わなければならない台詞がある。
「ひとつだけ、伝えておきたい。もうじき、あなたを助けてくれる人物が現れる。きっと女性だ。その人の願いを叶えてあげる生き方を選びなさい。それがあなたを地獄から救ってくれるから」
 2秒、押井は固まっていた。そのままぺこりと頭を下げて、ビルの廊下を足早に歩き出す。
 龍神は入口から顔を出して、押井の背中に向けて声を掛けた。
「ごめんね、今日は星の巡りがあなたの波動と合わなかったみたいだ。無料相談は次回も有効てことにしとくから、気が向いたらまた来てよ」
 占い師としての構えを解いた、龍神の素の言葉だった。押井はこちらに体を向けて、ゆっくりと深いお辞儀をした。その仕草に、育ちは良さそうだな、と龍神は思った。
 押井がビルを出て行くのを確認して、龍神は頭をかいて大きく溜め息をつく。
「……悪い事したかもしれないなあ」
 最後の「預言」は、詐欺への罠だ。つい勢いで言ってしまったけれど、地獄から救うどころか更なる地獄へと向かう道かもしれない。弱い者いじめのようでなんだか後味が悪い。もっとも、その罠を駆動させるかどうかは別のグループの判断になる。
 占い師としての素性はインチキだが、10年近く、困っている人の悩み事相談に応じてきた。グループとしてのノルマがあるので、今回のように罠を仕掛ける場面も避けられない。しかし、自分なりに親身に考えたアドバイスが「先生のおかげで救われました」と心から感謝されることが、年に数回はあった。そんな時、龍神は素直に嬉しかった。要するに、龍神はこの仕事が嫌いではないのだ。
 青年の苦しみの深さを想う。人によって、置かれた状況は異なるし、同じような状況でも感じ方は異なる。自分より20歳近く年下の青年は、自分の知らない地獄を知っているのだろう。
 ああいうタイプが、哲さんの探している「候補者」かも知れないな。
 報告書を書かねばならない。龍神は再び暗幕の内側へ潜った。 

【続く】

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積198h02m/合格目安3,000時間まであと2,801時間】
実績17分。前回視聴した講義の択一ドリルのみ。


■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『刀語』第11話、ふわわ、なんか一気に物語がドライブしてるな。次回最終回か。『ルパン三世PART6』第3話、単発回。次元が活躍しないと見せかけて、という展開がカッコイイ。

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