歌詞について1

地元バンド(絶賛活動休止中)がまだ活気があったときに、「歌詞が出来た。曲をつけてくれ」というラインが朝八時にボーカルから来たことがある。

前日の夜に飲み屋で「わい、作曲できんねん。」と何回も言ったのに送ってくるその姿勢と、自信と、人の話を聞いてない度は尊敬に値する。まあ、どんな歌詞を書いたのかと思い、ラインを開くとすげぇ薄っぺらい歌詞が貼り付けられていた。何のひねりもない応援ソングがぺたっと貼り付けられていた。そして、間髪入れずに恋愛ソングがぺたっと貼り付けられていた。ついでに、「1時間で書きました笑」という照れか自信か分からない文章も歌詞のあとに添えられており、朝っぱらから見てはいけないモノを見てしまった反動でその日一日仕事にならなかった。普段から仕事してないけど。

それは置いておいて、歌詞に必要なものは普遍性と共感性である。故に、「恋愛」や「悩み」というのは、大きなテーマとしてJ-Popの歴史の中でも何度も何度も扱われている。そして、自身の体験から生み出せるということもあり、歌詞を書く側としても取つきやすく、また、共感するという点からも名曲が多い。また、ひとえにテーマとして扱うにしても、そのカテゴライズは広く恋愛と一口に言っても「恋している段階」「告白する直前」「倦怠期」「すれ違い」「失恋」など、様々なカテゴリが存在する。しかし、カテゴライズをこれだけ分けたとしても、先を歩く者が足を踏み入れていないカテゴリはないのではないだろうか。

そういう中で新規参入し、存在感を出すと言うことは、曲のメロディーはともかく歌詞の中に、己の感性と物語性、そして一抹の比喩が必要になる。彼はこれが決定的に欠けていた。よくある言葉の羅列とストレートな表現、ありきたりな物語性。唯一あるのは、普遍性のみであった。だから背景がない「薄っぺらい」歌詞としてしか認識されなかったのだろう。

例えば、初期のシドの「妄想日記」は、テーマとしては「恋愛」ではあるが、内容としては、ストーカーが(勝手に)恋をしている内容だ。そこには、(少なくとも多くの)共感と普遍はないものの、その物語性とまおの感性が抜きんでており、聴く者を飽きさせない。

以前、西野カナの音楽は、歌詞は日本的なのに音楽が洋楽なので曲として捻れが生じているという内容を、ブログに書いたが、(http://hantankyou.blog.fc2.com/blog-entry-5.html)改めて考えると

「会いたくて、会いたくて震える」

という歌詞はすごい。ネット界隈ではバカにされているが、会いたい気持ちを震えると表現できるだろうか。また、例えばペトロールズの「雨」では

逢いたい気持はこの雨のように 全てを濡らして 色を増すように

逢いたい気持はあの日差しのように 全てを照らして 色を増すように

という風に会いたいという気持ちを雨と日差しで表現している。表現技法には差異はあるので、聴く人によって共感できるものからあまり相容れないものまであるだろうが、やはり少なくともエッセンスとしては必要であろう。ストレートな表現というのは時として必要ではあるが、全てが平たいと素っ気なく、またのっぺりとした印象を受けてしまう。

それを伝える前にバンド自体がグダグダになっているので、彼にそのことを伝える事はないだろうが、

どれだけ叫んだところで、

彼のヘッドホンから流れる無責任な応援ソングの音量に

俺の声は負けてるだろう。

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