私たちはスポーツから締め出されたのではなく、女性との不当な競争から締め出されたのです。
2020年10月、ワールドラグビーは「体格、力、パワー、そしてスピードが危険度やパフォーマンス左右する決め手となる国際レベルの女子ラグビーへのトランスジェンダー女性の選手の参加を推奨していません」という新しいガイドラインを発表した。
トランス権利活動団体であるストーンウォールUKは、それを「スポーツからの(トランスジェンダーの)締め出し」だ、とするツイートをした。
このツイートを読んだ自らもMtFトランスジェンダーのスポーツ選手であるクリスティーナ・ハリソンさんは、以下のツイートをして意見表明した。
訳:TB
私たちはスポーツから締め出されたのではなく、女性との不当な競争から締め出されたのです。私たちは、男性のスポーツがすべての人のための施設や尊厳をそなえ、インクルーシブで開かれたものになるように働きかけるべきです。数年前、私は女子サッカーでプレーしていました。女性たちの運動のおかげで、そうしてきたことが間違っていたことがわかりました。
体力が戻ったらすぐに、私はトランスプレイヤーとして、堂々と誇りを持って男性の5人制サッカーチームに参加するつもりです。このようなアプローチこそが本当に進歩的です。このアプローチは、女性、トランス選手、男性の、差異や独自性も含めた多様性とインクルージョンを完全に尊重するものであり、同時に、女性に不利益をもたらさず、安全、尊厳、スポーツの機会という基本的な考慮事項から女性を排除することなく行うことができるのです。
スポーツの機会、安全性、公平性、尊厳に対するそれぞれの集団の権利を相互に尊重することによってのみ、私たちは敵意を共感に、分断を理解に置き換えることができるのです。
トランスピープルは、当然のことながら、今日、トランスピープルとしてより広く受け入れられていますが、「トランス女性は女性だ(TWAW)」という権威主義的な嘘、しかも、多くの場面で女性に被害ないし潜在的被害を与えている証拠がありながらあらゆる状況下で「トランス女性は女性だ(TWAW)」だとする権威主義的な嘘は、正当な怒りと恐怖を生み出し続けており、それは不寛容が育つ土壌になってしまいます。この不当で全体主義的な要求でさえある「トランス女性は女性だ(TWAW)」が普遍的に受け入れられることはないでしょう。なぜならそれは女性の、生物学的な現実、生きられてきた経験、権利、独自性、つまり女性の完全な人間性というものを、(精神的に不健全な形で)否認する虚偽に基づくものであり、その結果、最も脆弱な女性や少女の排除と被害をもたらすからです。生物学的男性(male)は、いくら私たちが女性にアイデンティファイしたり自分の体を改造したりしても、生物学的女性(female)ではありません。そして、自分たちが生物学的女性と同じなのだという主張が他者への差別や同意の強要を伴うならば、それは間違っており性差別主義です。
真の多様性とは、違いを受け入れることであって、それを否定することではありません。そして、真の受容は自己受容から始まるのです。トランスであることに恥ずかしいことは何もありません。事実、残酷なジェンダー秩序の世界において、私たちの存在は、誇りの源泉であり、しばしば敵対的な世界で生き残り成功しようとする私たちの意志の指標でもあるべきです。もし友人や同僚が、共感から、あるいはそれ以外の方法を知らないという理由で、さまざまな性別の人が混在する広い日常世界で私たちを女性(woman)と扱ってくれるならば、それは、多くのトランスピープルが性別違和や抑圧的なジェンダー秩序から逃れるのに役立つかもしれません。しかし、私たちは生物学的女性(female)ではありません。女性の基本的権利と人間性が損なわれているにもかかわらず、私たちがfemaleであるかように扱うよう社会に強要することは、後退的であり、女性に対して配慮に欠け、それどころか女性に対して憎悪的でさえあります。生物学的男性(male)であることは、トランス女性になるための条件です。生物学的男性(male)だけがトランス女性になることができます。
私たちは女性(women)として認識されることを望むかもしれませんし、人生の多くの場面でそう認識されるかもしれませんが、性別(sex)に基づく権利を尊重するなら、私たちは、自分たちがトランスピープルであることを受け入れなければなりません。すなわち、生物学的女性(female)であったらいいのにと望んでいる/望んでいた生物学的男性(male)であり、しばしば意図的に自分たちの身体的/社会的現実を男性とは非常に異なるものにするために作り変えている人々として、自分自身を受け入れなければなりません。