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落語を観たときに感じた違和感を話すだけです。

先日、渋谷PARCOの8階にあります、PARCO劇場の「こけら落とし」として行われた「志の輔らくご」を見に行ってきました。

落語を観るのは、高校の部活で落語をやってた時ぶりくらいで、3,4年ぶりとか、そんな昔のことになっていました。

志の輔師匠の落語は生で初めてでしたし、新PARCO劇場のこけら落としってことで胸も踊りました。ですが、師匠の落語を見ていると、なんか違和感というか、落語を鑑賞するのって難しいことだなあって思いました。

もちろん、志の輔師匠の落語は、もう格別なもんでした。笑いと情をあそこまで共存させるのは、すごいなと。素人の僕でもとても楽しめるものでした。

ですが、僕の頭の中でもやもやとするものが立ち込めてきて、なんとなく本気で落語をたのしめなかったな、という感覚です。

今回は、そのことを書いていきます。


まず一つ目。これはもう個人的な恨みというか、そういう低俗なレベルの感想でしかありませんが、僕のすぐ後ろにいた観客が非常に気になった。めちゃくちゃ気になった。

その観客は、開演前にこんなことを言っていたんですよね。「いやあ、志の輔はすげえよ。」みたいな。その、「落語隅から隅まで知ってますよアピール」「志の輔知り尽くしてますよアピール」を感じ取ってしまいました。

そして、その観客の笑い方が、「ククク...」みたいな感じなんです。師匠が少し不思議な仕草をするとすぐに「ククク...」。なんでもないときに「ククク...」。なに?志の輔今何した?そもそもなんであなたはそんな偉そうなの??志の輔の師匠か何か!!!???みたいなレベルで。

(!!!!!?????)

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もうこの観客が気になって仕方がなかったです。


次の二つ目。これは一つ目に出てきた観客も関わってくるんですが、落語って、笑うべきときに笑うものじゃない?っていうことです。

突然ですが、落語を久しぶりに見ていて非常に面白いなと感じたのが、映画とかの鑑賞の仕方とは全くの別物だなあということです。映画は、基本的に観客はもう静かに静かにすることが大事。ホラーでも感動でも興奮でも、声に出しちゃいけない。でも、落語はどうでしょうか。笑っていいんですよ。というか、笑わなきゃいけないレベルだとも思います。

でもギャグ映画もあるじゃないかと、そういう方もいるでしょう。それもその通り。あれも笑わなきゃ意味ない。でも、じゃあみなさん思い出してください、『デッドプール(できれば字幕がいい)』を見たときの感想を。どうでした?ちょっと僕の経験と同じことを思ってくれた人がいるんじゃないかって思います。

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もう少し詳しく話します。『デッドプール』、日本でも大人気で、続編まで作られた映画ですけど、あれって、完全な「アメリカン・ジョーク」映画ですよね。あれを字幕で見た人って、正直、下ネタのシーンくらいでしか笑えないと思うんですよ。

でも、いるんですよね。英語を英語として理解して、素直に、タイムラグなしで笑う観客が。そういう人が近くにいると、少し萎えませんか?ああ、ここ笑うところだったんだ、みたいな。ああ、ここ俺にはわからなかったな、とか。多分、英語と日本語の語順の問題でそういう事態が加速している気もするんですが。

僕はこれに近い体験をさせられた気がします。いやあ、ちょっと違うか。半分忘れてください。ごめんなさい、これはこれで書きたかっただけです。

なんか、大した山場でもないときに、突然笑いが起きるんです。ほんと会場内で2,3人とかの規模で。ククク観客はもうしょっちゅうでしたが。本当になんも考えずに笑って、その続き聞いてみるとなんも笑うところじゃないみたいな事がたくさんあるんです。

サッカーで言えば、めっちゃ大事な試合で、めっちゃみんなが見入ってるとき、自陣で誰かがパスして、一人で「おお」って騒いで、なんだなんだと見てみると、パスカットされてるみたいな感じです。

それを聞くと、なんか、うるさいなって感じてしまうんですよね。これは僕がひねくれてるんだろうなとは思うんですが。

落語って、明確に面白いところを作って、そこで笑ってもらうもんだと思うんです。逆にいうと、それ以外は真剣に聞き入るものな気もするんです。

別に気にする事ないじゃんって思うと思います。僕もそう思います。でも、なぜか気になってしまう。

落語って観客が揃って笑うし、落語家は生身の人間なんで、「落語家」と「観客」のふたつの立場しか立場がないと思うんです。(映画は「個人」が割と強い気がします)なので、落語を見る時って、観客は連帯責任というか、みんな友達、兄弟、そんな感覚です。

でも、笑いを、声に、さらに安易に出していい(とされている)空間ですから、自分勝手に笑う奴が出てくるんです。これが僕にはどうも理解できない。

落語家が笑わせにきて、観客が一斉に笑うのが、ベストでありマナーであるような気がするんです。めちゃ間違ってる考えだとは思うんですが、「あなたの感想ですよね」でお願いします。

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三つ目。これはもうなんか別の話なんですけど、PARCO劇場の年齢層高すぎる。

大人がノスタルジーに浸るのはいいんですよ。それはもちろんいい事です。しかし、僕が言いたいのは、どちらかというと、若者に対して?というか運営方針に対して?

渋谷は、もう、圧倒的若者の街です。渋谷パルコも、ポケセン・ニンテンドー・ジャンプショップなんかが入って、若者を受け入れる気満々です。

でも、8階だけはもう平均年齢50。あと30年後に観客いなくなりますよ。

街全体が若者向けになってるのに、劇場だけは全然世代交代がうまく行っていない。志の輔師匠なんて若者でも誰でも知ってるような落語家ですから、もう少しそういう現代の渋谷層を呼び込めたらよかったんじゃないかな、なんておもいます。勝手に。


とはいえ、とても貴重な体験になりました。志の輔師匠、20日間連続で落語をやってるそうで、本当大変だと思うんですが、頑張ってください。


本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。