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何か決まり切ったことを書くのが嫌いになりました

とタイトルを打って書き始めている時点で矛盾を抱えているけど、まあ、最近そういうことを思うことが多くなった。

なんというか、今いろいろな場面で見る「言葉」って、全てを決めにかかって生まれているような感覚がある。つまり、その言葉は、ある程度の力を持つことを前提にしていて、共感と反感を持たせて。まあその先はSNSをにぎわせようとしているとか、ただ金を稼ぎたいとか、いろいろと目的は違うだろうけど。でもそんな気がする。

最近の「鬼滅の刃」ブームにあやかる動きは本当に気持ち悪い。というか、それを使えば反応するとわかりきっている発信者と、そしてそれに見事に反応してしまう市民とのこの綺麗すぎる構造がとても気持ち悪い。別に鬼滅の刃は全く嫌いじゃ無いし、むしろ多くの人より詳しくて好きな自信はあるけど。

菅の「全集中」も「鬼滅ハラスメント」も「鬼滅貧乏」も、全部バカじゃねえのって思う。それを言い出すのもバカだけど、それにいちいち反応すんのもバカ。そういう、「鬼滅の刃」っていう認知度が高いコンテンツに頼って話題性を作り上げる発信者側はその力量のなさを自覚したほうがいいだろうし、その批判しやすい標的に寄ってたかっていろいろいうのも馬鹿らしい。時間をもっと有効に使え。まあ、鬼滅の例がわかりやすくて、僕も見事に使ってしまったのが随分と恥ずかしい限りだけれども。

まあということでこんな話をしてしまったけど、なんか本当に表面的に、薄っぺらい理解で全てを理解できる世の中の動きがとてもつまらないし醜い。最初から結果を決めてかかられている気分がとても不愉快。提示されると同時にこう思うでしょ?と言われているよう。それには賛否なんてどうでも良い。話題になれば良い。それもまた不愉快。

長文をだらだらとかいて、だらだらと読む、そういう動きが見当たらない。みんな早足。でも早足なはずなに、泥道を早歩きしてるという馬鹿らしさ。

こうやってこういうことを書いている僕も馬鹿。おしまい。

本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。