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ハセベダイスケさんの見る夢は

 マツボックリマンTheギネス、アダルトソファーズというバンドのギタリスト兼ボーカリストであるヨシキTHEギネス(ELECTRICMANHOLE)と筆者は小学校からの幼馴染である。15~17歳の3年間、ほぼ毎日彼と音楽で遊んでいた。あまり語らうことはなく、筆者が作詞作曲ボーカル担当で、彼が即興エレキで淡々と合わせるというスタイルだった。音楽理論はもちろんスケールすら理解していない拙い2人の音楽。録音していないので記憶を辿るしかないのだが、今聴いてもそれなりであったとは思う。だが、まだ子供であったので、筆者の親の転勤に伴い時々連絡を取りあう仲となってしまった。そして20歳の時に筆者はうつ病を発症し、完全に一方的な絶縁状態となる。

 彼が札幌を中心に活動しているのを筆者は知っていたのだが、ヨレた自分の姿だけはどうか見てくれるなと思うほどの大親友であったので、音楽活動を再開できる程度に回復した時が来たら連絡しよう、と思っていたのだが、まさかその時が十数年後になろうとはさすがに予想外だった。

 筆者は昨年12月に音楽活動を再開した。数曲作った段階でよしいけるなという確信が持てたのでTwitterでDMを送り、電話で話してまた二人で音楽やろうよという話になったのだが、LINEで「おまえリズム感ゼロだな」と言われ筆者がぶちギレして一曲も残すことなく解散ということになった(笑)。筆者はちょっと頭がアレで、キレどころがわからないからと周囲の人間から気を使われていたのだが、彼だけはズケズケと物申してくるので、逆に居心地が良かったと同時に、こいつ相変わらず性格は最悪だなと(笑)。なのでTwitterのフォローだけは外さないがLINEのアカウントは消した。おまえの音楽の才能は間違いなく本物だからこそ、音楽以外の繋がりは持たないよ、と。筆者にとっては空白の十数年間であったが、彼は彼の道を歩んできたのだ。なので変な影響を与えるわけにはいかないなという筆者なりの「尊重の形」がそれだった。そして筆者がキレて連絡を断ってもネタにして笑える関係であるので、これでいい(笑)。YouTubeでアダルトソファーズと検索すれば数曲聴くことができるので、是非その音源に触れてみてほしい。

 なんでこんな身の上話を長々と綴ったかと言うと、筆者が病むことなく彼と共にバンド活動をしていたら、ハセベさんの音楽に近いものを作っていたかもしれないなと思ったからである。作詞は筆者が行うはずだから世界観は確実に異なるだろうが、このサウンドの感触はヨシキTHEギネスに通ずるものがある。ひどく泥くさい匂いがして、貧困とテキーラとマリファナで酩酊して毎日朝方の国道でゲロ吐いてる感じ。冗談ではなく、結構的を得ていると思う。彼らは重力の孤児で、土に根付く雑草、反骨精神というただの私怨を熱源に剥きだす。ロックンローラーというのは敗者が夢見心地にただ居直っているだけという、どうしようもない在り方であると筆者は思う。そんな人間たちは共通して「どうしようもないのは社会ではなく俺のほうだ」と虚勢を張る(その根底には恨みがある)。そして一番重要なのは「社会を生きる俺」という視点から一切が展開されるということだ。決して「持論で社会を語る人間ではない」。彼らは「社会経験」を糧に生き、「痛みや苦しみ」を是とするマゾヒティックなナルシストである。いわゆるその道の本物は、終始「俺」に徹する。その在り方の本質は「闘争を装ったただの現実逃避」で、その佇まいはかっこいいのだが、「音楽やってなかったらただのどうしようもない奴」でもある。

 音源を聴けばわかるが、ハセベさんの表現の幅と深度は相当なものだ。筆者は特に「ORANGE」という曲がお気に入りで、レディオヘッドがFake Plastic Treesで表現した「ニセモノ」の世界じゃ「ケタケタ笑う」しかないだろと諦観しているかのような、極上のラブソングに仕上がっていると思う。美醜の醜が目立ちすぎの美。根底にあるものは上記のような精神性なのだが、そんな人たちが「俺」ではなく「君」を歌ったときの破壊力は凄まじい。この人たちは君に拒まれたたらどうするんだろうと心配になるほど唐突に率直に「君」を歌う。やっぱり根底にあるのはナルシシズムだよね。でもそれは美学を伴っているものだから、勘違いしないでもらいたい。その生き方は在り方であるから、貫き通すことは決して生易しいものではない。

 ハセベさんもそうであるし、ヨシキTHEギネスの楽曲もそうなのだが、彼らは曲という水物に歌詞を溶け込ませる人たちなので、実は全く歌詞というものに執着していなかったりするし、聴かなくても成立するように作ってある。なぜなら常にそこにリスナーたちがいるからだ。クラブカルチャーもそうだが、ロックンローラーな人たちというのは、箱を客と創る人たちである。ぐちゃぐちゃに盛り上がれば一切は肯定される。だが、風雲急を告げるコロナ禍がやってきた。彼らにとっては地獄のはずで、彼らは変質を迫られている。だがどうしていくのだろう?それは一種の麻薬のようでもあるのだ、と深刻に考えていたらハセベさんが「僕のスペース〜さよならギター〜」という爆弾をぶち込んで来たので、えええと思ったのと同時に、苦悩して乗り越えたんだろうな、これは意志表明だろうか、かっこいいなと素直に思った。筆者も今新しい可能性を模索していて、どうにかしてインディーズシーンを変えようとしている。人間にとって怠惰は魔性であるから、そんな反復可能な毎日を捨て去るアーティストはそうではない人からすれば愚の骨頂でしかない。覚悟がないとできないことだ。筆者はそもそもその生き方すらできなかった身であるので、覚悟も糞もないのだが。

 こんなコロナ禍に在っても気付かない人たちは気付かない。もうあの日常は取り戻せないのだと(永遠に続くという前提だが)。筆者はそもそもリスナーなどどうでもいいのだが、このコロナ禍で俺たちの日常を返せ運動をしているズレた人たちを見ていたらさすがにイラついたので、新曲「札幌の風雲児が今急を告げる」という曲を作って殴った。そして永遠のさよならを告げた。もう2度と彼らを説得しようとは思わない。

    思考の果ては当然異なるものである。なぜなら人の在り方には無限のバリエーションがあり、正誤はない。だからどんな答えだって尊重に値するが、それは思考した結果であってほしい。あなたたちには思考するものであってほしいと心から願う。ハセベさんもきっと共通の見解であろう。ロックンローラーってのはグレッチと変態行為をする人たちなのだから、ギターとさよならしたハセベさんの今後の活動は気になるに決まっているじゃないか!どう処理するんだ!?

 最後に、おい!仙台のヨシキTHEギネス!おまえはどうするんだ!おまえが黙ってどうするんだこの馬鹿野郎!俺たちは音楽してないとただの糞野郎だぞ!

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