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作詞家HaNa*さんの描く夢は

 音楽に限った事ではない。言葉がなければ、人間は人間らしく生きる事は出来ない。人の心を救うのは、言葉。そんな言葉が、ないがしろにされがちな時代だからこそ、言葉の重要性が増している。そういう意味で、、松本隆先生の存在はとてつもなく大きい(固定ツイートより引用)

 作詞家は作曲家に世界観を提示すべきである。また作曲家の世界観を言語化するのが作詞家である。さらに、歌い手のユニーク性を最大限引き出すのも作詞作曲家の役割である。だが、この三すくみの形状が正三角形である必要はない。雨が降っている東京と、雨が降っていない東京を同時に成立させられるのが音楽の面白さである。関わるものそれぞれの不一致の一致を形にできるのが音楽の特権である。他の創作物でそれを表現することはほぼ不可能だろう。

 HaNa*さんは「既存の楽曲にオリジナル歌詞を乗せる」という試みを行っている。筆者はTwitterのDMで、「面白い試みだと思うが本来やりたいことは違うのでは」と伝えた。懸念したのは商業音楽的な思考癖がつくことだ。商業音楽のそのほとんどは正三角形であり、リスナーはその反復可能性に慣れ親しんでいる。彼らの思考回路はまるで工場の生産ラインのようである。故に思考停止を是とする。彼らに響く言葉は彼らがすでに獲得した言葉である。彼らは音楽を聴くのではなく己の中に観るのだ。だから彼らの口から多様性という言葉が出るたびに筆者は笑ってしまう。決して見下しているのではない。この時世を生きる一人として、心の底から軽蔑している。

 サブスクの台頭により手軽に誰でも音源をリリースすることが可能な世の中になったが、筆者はそれを喜ばしいことだとは思っていない。むしろ悲観的だ。理想は富の再分配だが決してそうはならない。音楽配信業者に偏り過ぎた再配分が起こるだけである。そして必然的に市場に出回る金は減る。つまり、かろうじて過去の遺産で食えるものは食える。そんな世の中に「なってしまった」。まさに神は死んだのだ。

 インディーズシーンは確かに面白い。みんながそれぞれの夢を見ている。自覚的か無自覚なのかはともかく、伝えるだけの熱量を各々持ち合わせている。それこそ「彼ら」が求めている多様性に満ち溢れている。でもなぜぼくたちの音楽は見向きもされないのだろうか。当たり前だ。日本に音楽文化などない。日本だけじゃない。世界的に見てもそうだ。だからあなたの夢は夢で終わるだろう。確実にだ。だれもあんたの主義主張を求めちゃいないんだ。今は連帯して大改革を行うべき時であるのに、だれもなにも考えちゃいねえ。筆者の行動を笑うものもいるだろう。いいよ。少数の理解者と共に俺たちがいりゃ充分だ。やる気がねーやつはさっさと失せやがれ。

 カウンターカルチャーが生まれる前夜。作詞家は過去を踏襲せず、するどい洞察力で偽りの今を描いてくれ。作曲家は今の路線を切り捨てて、独創性を貫き通してくれ。必ず俺たちが日本音楽文化の底上げを行うから、その日まで、己を磨いてくれ。必ずその日はやってくる。理解できぬものは淘汰されて当然だ。遊びではない。俺は決意している。生涯をかけてこの問題に向き合っていくと。「彼ら」を変えるのが「クリエイター」の使命だ。

 HaNa*さんは松本隆を崇拝しているが、やっぱりあなた自身の言葉を綴っていくべきだと思う。もう時代背景が違うのだから。筆者も松本隆からの影響を受けているのだが、その言葉はすでに色褪せている。この世界は終わっているよ。

 暗い話に終始して済まないが、決してあきらめるんじゃねえ!。絶対に俺がなんとかしてやる。だからインディーズシーンよ、今こそ連帯せよ。意見交換をし、この先どうしていくか語り合え。空振りに終わってもいい。とにかく行動を起こせ。

★最後に

 自分語りになってしまって申し訳ないが、今回はこういう切り口から綴る必要があったのだ。理解してくれる方は、Hanaさんをフォローしてくれ。そして俺の計画に賛同できるものは声を上げてくれ。明日はない。とにかく行こう!

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