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自動反応とエゴへの一体化のスペース

さっき生まれて初めて、思考が起こった瞬間をキャッチして「私(エゴ)」と一体化させないという体験ができた。

午前中、ある出来事にショックを受けて惨めな気持ちになっていました。この惨めな気持ちも、個体としての「私という特徴」の自動的な反応なんだな~とぼんやり思っていたら、いきなり、それとは別のとある出来事に対する、緊張感のある思考が湧いてきました。

湧いた1~2秒後に、前者の惨めな思考と後者の緊張感のある思考を結びつけて「あぁ、なんか、もぅ、ほんとに私って可哀相な人間だな」と劣等感が湧きかかりました。

厳密に言うと、すでに湧いてはいたのでしょうけど、なんて言うんでしょう、くしゃみが出かかったけど引っ込んだ感じというかww

今までだったら、前者と後者の思考が自動的に結びつき、第三の感情(劣等感)に圧倒され、すぐさまエゴの私と一体化して苦しんでいました。つまり、最初の惨めな気持ちに、緊張感がトッピングされ、さらにその二つが劣等感を生むという感じ。

でも今日は、トッピングされた緊張感が劣等感を生む瞬間をキャッチして「これだ!」と感じたんです。と同時に「違う!(前者と後者は別)」と感じたんです。

おっと~、惨めな気持ち緊張感は全く別の出来事への反応(根っこは同じかもしれないけど)なのに、結び付けようとしてる私がいた!と気づいたんです。

「ある気持ち」と「また別のある気持ち」を結び付けて、さらなる大きな別の気持ちに変化する、ということを無意識にやっていたのに気付けたので、なんだかめちゃくちゃアハ体験って感じでした。

「思考が沸き起こった瞬間をキャッチする」というのを聞いたことがあって、それは思考というのは「私」が思考してるのではなくやってくるものという体感をするためという意味合いだったのだけど、まさに一石二鳥。

思考が沸き起こった瞬間もキャッチできたし、自動的に「私」に一体化させようとするエゴにも気づくことができました。

つまり、ネックレスを絡ませなかったという感じでしょうか。エックハルトトールのペインボディという概念で言えば、ふと沸き起こった緊張感の思考をペインボディの餌にしなかったということです。

餌にしなかったから、劣等感も沸き起こりかけたけど「お!劣等感よ!」と気づいたからそこで「劣等感を覚えて重い気分で苦しむという私」が消滅しました。

これ結構、Fという私にとってはかなり大きな体験でした。忘れたくなくて残しておきます。

今、次からもペインボディを活性化させないぞ!という野望が起こってきましたが、おっとそれは危険。活性化させないぞ!と思うと、活性化させるような出来事が起こってきますからねwww

そしていつの日か活性化せざるを得ないような状況になり、やっぱり無理だ・・・とエゴが勝利する日まで織り込み済み。

今日のようなことがあったら、淡々とキャッチするのみですね。

ちなみに今回もやろうと思ってやったことではなく、自動的に「これだ!違う!」という反応が出てきたので、それが意味あることだと感じています。要するに取り組んだ結果ではないということです。※もしかしたら水面下では知識が累積されていてそれが臨界点に達したのかもしれませんが。


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