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SWIM

妹は自由になった。空気と水の境目で。

両親が頷くと、ぼくは力を込めずに漕いで、妹から離れた。

すぐにうまる距離だ。泳げさえすれば。

「お名前はぁ」グレグソン氏が二人乗りで四角帆のディンギーでやって来て、忌々しい蒸気船の音に負けじと声を張り上げた。

「ブリジットです」父が言った。
「良い休暇を」「そちらも」

すれちがって、二隻の航跡が混ざりあうあいだ、グレグソン氏の同乗者は目を丸くしており、パイプを水没させたことにすら気づいていなかった。印象深い休暇になったことだろう。

ぼくのときは大騒ぎだった。大泣きしながら泳いで(初めて泳いだときの動きを泳ぎと呼べるなら)周囲の耳目を集めたのだった。

「おまえはあっちの船を追いかけてたなあ」父はブリジットから視線を外し、グレグソン氏たちを見て目を細めた。

妹はといえば、驚いたことに真顔だ。ちゃぱちゃぱと犬かきをしている。

「おーい」父が呼びかけるが、返事はない。妹の後頭部と背中が、遠ざかっていく。

親から引き離された幼子は、親を探し求めるものだと、いうのは僕の思い込みだったらしい。ブリジットは、僕たちのいるボートでもなく、兄たちが焚火をしている湖岸でもなく、湖の真ん中にある小島を目指していた。

追いかけようとしたが、父は制した。突きだされた手には、双眼鏡がある。

受け取って、レンズ越しに妹を観察する。犬かきではあるが、水泳選手のように安定した動きだ。水を飲んでもいなければ、過呼吸になってもいないらしい。今日のために練習していたかのようだが、ありえない話だ。ロンドンの川じゃ泳げない。

「もう卵の茹だる頃でしょう」母が言った。「そうだな」父が視線をよこす。ぼくは船を岸に向ける。妹は放っておくことになった。【続く】


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