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プーマ.オマージュ 01/02

01       僕は、プーマが好きだ。普段着には、何か必ずプーマを身に付ける。そこにあれば、落ち着くし、プーマは僕にとって水や空気と同じである。

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 いつ頃だろう、プーマと出会ったのは。昔なら良くある話だが、小学校の先生がつくった学校中心のサッカー少年団があって、自分もご多分に漏れず、そのサッカー少年団に入団していた。そう、プーマを教えてくれたのはサッカーだった。


 自分のプーマへのストーリーは、そこから始まった。チームの公式ジャージの色は「オレンジ」、試合用のユニフォームも「オレンジ」、小6の時に新調されたユニフォームも白地に中央に赤が大胆に走っているもの。そしてその時、友達より少し遅れて入団した私に、残っていたユニフォーム、その背番号は『14』であった。


 きっとオランダ'74が大好きだったに違いない、その先生は。オランダ'74、そしてアヤックスの中心にはクライフがいた。伝説の、2本線のアディダスのオレンジ・ユニフォームとスパイク。だからこそ、陰画として、逆説的に、強烈に、暴力的に、彩られる、そこには存在しない、プーマという個。

クライフはプーマであり、私にとって、プーマはクライフであった。


 当時はグラウンドで走って、ボールを蹴っているだけで、サッカー事情に詳しい訳でもなっかた私は、それがオランダ代表であり、それがアヤックスのユニフォームであることを、その時の私は気付くことはなかったが。気づいたのは、だいぶ経ち少年から大人になった、後のことである。


 ちなみに少年団公式のオレンジジャージもアディダスではあったが、ちゃんと3本線ではあった。


02     プーマは、いつでも私にとって、孤高であり、反逆者であり、且つ解放者であり、絶対的な存在としてのアイコンである。

ペレ、クライフ、ネッツアー、ケンペス、マラドーナ。私は、その解放者のイメージを纏いたくて、プーマをいつも身に着けていた。

もちろん、少年の私には、少年用のスパイクやシューズは手に入れることはできても、たいていのプーマは手が出ない商品で、憧れのプーマのパーカーを手に入れる余裕が持てるようになったのは、仕事に就いて給料を貰えるようになってからだ。

 プーマを身に着け、クライフを追いかけ、フットボールを楽しみ、時には、それを他の世界で応用してもみたが、クライフのようにプレー出来た試しは一度たりともない。人生のなかで、クライフターンのようなテクニックもトータルフットボールのようなゲームビジョンも奏でることはなかった。でも、それでよかった。だからこそずっと憧れとして追いかけることができ、今でも私を楽しませてくれるのだから。


 f’ree generation は、プーマへの私なりの、オマージュである。プーマのようにマイノリティでありながらも、その世界の開拓者や解放者のそばにいること。解放への力となること。


 ただ、忘れてはいけない。自由とは解放であると同時に、追放でもあることを。彼らは解放されながら追放されし者達でもあった。ペレもクライフもネッツアーもケンペスもマラドーナも、グラウンドから、チームから、時には運命からも追放され続けた。そんな者たちのそばにずっといて、そっと寄り添い続けたプーマ。

 

 プーマのように、f’ree generation も追放者、パラダイスロスト・ウォーカーたちへのサポート・ギアになること。永遠に、そういうブランドで有り続けたい。

 

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