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2005.3.27>2019.4.1

アーティストのファンになって、ライブへ行ったりしていると、
大事な日付というものがどんどん増えていく気がする。
メンバーの誕生日だとか、結成記念日とか、デビュー、始動記念日とか、
はじめてその人たちのライブに行った日
その人たちにとって特別なライブの日、
自分にとって特別なライブの日だとか。
季節が移り変わるたびに、たくさんの大事な日付のことを思い出す。

そんな中で、いつも3月の終わりに思い出す日付がある。
3月27日
2005年にJanne Da Arcという大阪のバンドが、
はじめて大阪城ホールをライブをした日。

私は当時Janne Da Arcのファンだったけれど、インディーズのときから追いかけてきたようなファンではなかったので、
ずっと目指していた場所にたどりついた喜びを一緒に分かち合った!
というよりは、歴史的なライブに立ち会った、みたいな気持ちの方が強かったように思う。
だからこそ、これは到達点ではなく通過点で、
もっと先の景色を見せてくれるんだと、このライブのときに感じていた。
その翌年にバンドが実質活動休止の状態になったときも、
いつかメンバーの気持ちがひとつになって、バンドが復活するときには
絶対に大阪城ホールでライブをやるんだと信じて、
その日をずっと夢見ていた。

でも、その夢が叶うことはなくなってしまった。
1年前、2019年4月1日にJanne Da Arcは解散を発表した。

あれから1年が経って、kiyoさんはこう言っていたけれど、
私は復活の日を夢見ながらも、心のどこかで、
希望も絶望も受け止める覚悟をしていたのかもしれない。

それでも、やっぱり希望の方が大きかったかな。

だってあれから1年経った今でも、春になって思い出すのは
バンドが解散した4月1日のことよりも、
夢に溢れていた3月27日の大阪城ホールのことだった。
そりゃそうだ、10年以上自分の中で、夢の日として刻まれていたんだから。
そんな大阪城ホールでもう一度Janne Da Arcを見るという夢は叶わなかったけど、
その夢を見せてくれたことは嘘にはならないし、
なかったことにはならないと私は思う。
1年前は、そうやって綺麗事を並べて自分の気持ちを誤魔化そうとしてるんだろうか?と思ったこともあったけど、
やっぱり私は、こういう結果になってしまっても、Janne Da Arcに裏切られたとは今でも思っていない。

そして解散が発表されたときに、印象的だったことがあった。
それは、彼らに影響を受けたバンドマンたちのこと。
ビジュアル系はもちろん、別ジャンルのバンドマンからもJanne Da Arcの解散についてのコメントが発されていて、
それ自体の多さにも驚いたけれど、
憧れを憧れのまま終わらせずに、
本当にそれを貫いてバンドマンになった人の多さに驚いた。

Janne Da Arcとゆかりの深いDJの浅井博章さんが、解散が発表された週のBEAT SHUFFLEでそのことに触れたときに

「Janne Da Arcの新曲は聴けなくなってしまったけれど、
そのDNAを受け継いだバンドたちが
新しいJanne Da Arcを聴かせてくれることを期待したい」


というふうに言ってて、それってこういうことなのかもしれないと感じた。

メンバーはまだまだ懺悔、謝罪の想いの方が強いかもしれないけれど、
失くしたものよりも、残してきたものがあるんだって、
こうやって多くの人の想いを動かしたんだって、
時間はかかるかもしれないけど、懺悔よりもそう思える日がくることを願います。

余談だけど、
たまに無性にココイチのカレーが食べたくなるのは、
この人たちが残してくれた物のひとつなんだと思う 笑🍛