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映画「13th -憲法修正第13条-」

アメリカの奴隷制は廃止され、現代にはもう存在しない。それが私たちの一般的な認識だと思う。

けれど、Netflixで公開されているドキュメンタリー「13th -憲法修正第13条-」を観れば、それが教科書の中だけの話だったということがわかるだろう。

なぜならこの憲法修正第13条によって、アメリカには今もなお奴隷制度が息づいていることを思い知らされるからだ。

※以下、映画の内容を網羅的に紹介しているのでご了承の上お読みください。

奴隷解放宣言と憲法修正第13条

1863年。アメリカを二分する南北戦争の最中に、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を行った。

2年後の1865年、宣言と実態を整合させるために施行されたのが、憲法修正第13条だ。

条文は以下のとおり。

第1節 奴隷及び本人の意に反する労役は、当事者が犯罪に対する刑罰として正当に有罪の宣告を受けた場合以外は、合衆国内又はその管轄に属するいかなる地域内にも存在してはならない。
第2節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条の規定を施行する権限を有する。(wikipediaより引用

第1節で奴隷制を直接的に禁止していることがわかるが、「刑罰を受ける者は除く」という意味の文が添えられている。

一見、大きな違和感は無いような気がしてしまう。日本の刑務所でも犯罪者には懲罰的な処遇が与えられている。

だがこの一文こそが、現代の奴隷制度を生む「憲法の抜け穴」であると、映画では語られている。

「黒人=犯罪者が多い」というステレオタイプ

白人が肌を黒く塗って黒人を演じる「ミンストレル・ショー」が存在した19世紀から、黒人は野蛮あるいは愚鈍なイメージで表現され続けていた。

1915年の映画「國民の創生」でも、レイプを黒人と結びつけて描かれている。

奴隷解放宣言後も、マスメディアを通じて黒人を犯罪と結びつける言説が飛び交った。

麻薬のイメージも根深い。

80年代、時の大統領レーガンは薬物事犯の逮捕と投獄を強力に推し進めた。

ターゲットになったのは、当時の黒人コミュニティで流行していたある麻薬だった。

クラックと呼ばれるその麻薬は、安価だったために貧しい黒人層に爆発的に広がっていた。クラック犯罪に関する量刑は、コカインの実に100倍の重さだったといわれる。

黒人が逮捕され、長期的に投獄される件数が一気に跳ね上がった。

奴隷という鎖からようやく解放された黒人は、政府の不条理な制度設計のもと、今度は犯罪者としてのレッテルを貼られることになってしまう。

膨張した監獄ビジネス

アメリカの受刑者数は世界でも類を見ないほど多い。映画の冒頭、オバマ元大統領の口から「アメリカの人口は世界の人口の5%だが、受刑者数は世界の25%を占める」という驚くべき統計値が語られる。

アメリカの受刑者の割合は白人1人に対して黒人6人と言われている。意外かもしれないが、黒人の人口は全米のたった6%に過ぎない。そう考えると、この割合の異常さはわかるだろう。

レーガン以降も、政府は不当な逮捕に重刑を課すための法律を次々と施行した。

1970年に35万人ほどだった受刑者は、80年には50万人、90年には117万人、2000年には200万人という恐ろしいスピードで増え続け、14年には230万人を突破した。

だが彼らは正義感からこの大量投獄を推し進めたわけではない。背後には、監獄ビジネスと呼ばれる産業があった。

刑務所は受刑者たちをさまざまな労役に就かせることで、莫大な収益を得る。ここに憲法修正第13条の文言が生きている。彼らはあの文言を「逮捕すれば、奴隷として自由に使うことができる」と解釈して悪用しているのだ。

制度の肥大化につれて、政府は刑務所の建設・管理を民間委託するようになった。

彼らは当然、より大きな利益を追求する。

議員に働きかけ、長期間投獄できる法案を通過させて、警察に不当な逮捕を乱発させた。

刑務所を常に満員にしておくこと、新たな刑務所を建設することが、彼らの利益に直結する。無論、株主である政府もそこから利益を得ていた。

※なお、映画でインタビューを受けている女性活動家のアンジェラ・デイヴィスの著書に「監獄ビジネス―グローバリズムと産獄複合体」があります。私も未読なので恐縮ですが、併せて読めば理解が深まると思います。

そして現在

2015年、ブラック・ライブズ・マターが一大ムーブメントとなったことに象徴されるように、黒人は未だに身の安全すら保障されない環境で生きている。

大量投獄の方針は少しずつ見直され、刑務所の規模縮小に向けて舵取りがなされているそうだが、それはコストや制度運用上の都合に過ぎない。複雑に組み上がった伏魔殿の解体には途方もない時間がかかるだろう。

たとえ監獄が縮小しても、忌まわしい過去は今に影を落とす。犯歴を負った者は、就職、賃貸、ローン、保険、生活保護などの行政サービス、そして投票権…あらゆる側面で制限を受ける。

アラバマ州の黒人男性の30%が、犯歴のために投票権を失っているという。彼らが奪われたのは、公民権運動の長い戦いの末にようやく勝ち取った権利だ。

時代は変わっても、彼らの置かれた環境は変わっていない。

今、私たちが考えるべきことは

最近、SNSを中心に自己責任論と呼ばれる風潮が拡がっている。

上で述べた麻薬の話にしても「薬物犯罪に手を染めた黒人自身が悪いのだから、検挙されて当然」と思う人がいるかもしれない。

けれど、それは誤った考えだ。60年代、アメリカ南部で施行されていたジム・クロウ法と呼ばれる人種隔離政策や白人からの暴力に苦しみ、命からがら北部へ逃げ出した黒人たちは、都市での貧困に直面する。生きるためにドラッグディーラーになるしかなかった人、彼らにクラックを流した麻薬商人の存在など、本人たちの責めに帰すべきでない状況が幾重にも重なっている。

「でも薬物事犯の検挙は正しいことだ」という人もいるかもしれない。だがここにも不公平がある。黒人の人口は全米の約6%に過ぎない。薬物事犯の数は白人のほうが圧倒的に多いのに、検挙数は少なく、量刑も非常に軽い。

不公正な制度の下で生きる人々に対しては、簡単に自己責任に帰結させることはできない。

「アメリカの話だから日本は関係ないだろう」という意見もよく目にする。直接的な関係はないかもしれないが、日本にも人種、国籍、民族の差別は存在する。アメリカの負の歴史を自分たちの現実に置き換えれば、考えるべきことはたくさんある。

ありえないという前提で構わないから想像してほしい。

もし現政権が大量投獄に舵を切ったとしたら? 政権に与する者たちの言葉の恐ろしさが、より一層リアルに浮き上がってくるはずだ。

日本が「ひとつの民族」だけでできた国だという政治家がいた。LGBTQは生産性がないと言った議員もいた。スリーパーセルが潜んでいると発言した政治学者、中国人は採用しないという東大准教授、後に撤回したものの朝鮮学校に行政サービスの提供をしないと判断した自治体もあった。

その恐ろしさを想像するだけでも、今自分たちがどう振る舞い、どう発言すべきかは見えてくるのではないだろうか。

この映画に登場する人物たちの発言と行動は、その指針にもなるはずだ。

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