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お前は何者なのか@自己紹介~1~

皆さんごきげんよう。
冒頭の挨拶を何にしようか迷った挙げ句、これってどうなの?と自分のセンスの無さを痛感している35℃の夏。
冒頭からダブルピースの恥ずかしい写真を載せてみました。

さてnoteを始めてみて、意外や意外、読んでくれる人がいるなんてとっても驚きで、本当に感謝です。こんな下らないとりとめもない内容に貴重なお時間をいただくのですから、今後もハッスル(死語)して毎日書きたい気持ちでいっぱいです(誤変換でおっぱOになっていてびっくり添削!)。

私はこれまでブログやFacebookと言ったキイチロウからの発信した経験がありますが、ブログなんて頑張って書いてもそもそも読む人が居なかった(そんな文化もプラットフォームを偏っていた時代)、そして最近のFacebookはいわゆる友人、家族、親戚、そして仕事のお付き合いの方々が大半と、SNSでも特にコミュニティが狭い範囲の繋がりで成り立っている世界なので発信内容に気を使うという感じ。

特に最近はFacebook投稿について何を発信すべきかなかなか悩みどころで、昼飯やこれ買ってみた、遊びに来ました的な情報ってみんな必要?、俺はいらんなとつくづく感じていたのでした。
 とはいえ、じゃあ個人的な深い話や悩み、仕事のコアな情報配信するのもこれまた問題が出てくるしそもそもそんな情報を欲しがる繋がる友達(繋がっている人)いないだろう、となったのです。
 つまり条件が決まっているコミュニティでどんな情報を発信しようか?というのが難しいということがなんとなく理解してきました。

そんな中noteの存在を知り、ここで自分との繋がりのない多くの人に向けて自由に自分の想いなどを発信してみよう、そこから共感できる方々と繋がったらどうなるのか、と思うようになりました。

 仕事の話も個人的に感じたことも、そして今後こんな事したいけど誰か知ってる人紹介してとか、手伝って的な流れになっていけば面白いなと思っているわけです。

※実は仕事で出会う人に上記の話を小出ししてみるという実験をして見たのですが、やはり「仕事有りき」で繋がっている人とは価値観を共有するのは難しいと言うことがわかりました。

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そこでまずは「キイチロウ、お前は何者なんだ?」を晒すことで読んで貰える人から知ってもらい、もしかしたらその中から感性に近い人が居て、さらにその中に「キイチロウ」に興味を持つ奇特な人が出て、さらにさらにその中から面白そうだと思ってコンタクトする、ある種の超人を探して見ようかなと思います。
まぁ、これは逆も然りで、私もそんな人とご縁が出来て寄り添いながら私の出来ることで力になれればこれまた面白い展開期待できちゃうなと考えるわけです。

ということで早速第一弾として、誰も求めても居ない「キイチロウ」のルーツ的なことを書いちゃおうと思います。ただルーツなんて細かく書いても面白くないのでなるべく超スピーディーに駆け足で。

1977/8/8 爆誕~幼少期

愛知県小牧市に生まれてしまう。長男。まつげ長く、女の子見たいともてはやされるも本人無自覚。これが実は私の唯一のモテ期だったのかもと今更気がつく(涙)。
実家は薬屋。いわゆる田舎の薬局で店の中が遊び場。
自宅に業務用アイスクリームの冷蔵庫(駄菓子屋さんとかの店頭にあるアレ)があることは今更気づく自慢ポイント。
小学5年生まで小牧で過ごすも、この薬局が倒産し追われるように名古屋へ引っ越し。
子供ながらに寝耳に水の深刻な事態は感じたものの、「深くは聞くな」の空気を読み名古屋での新生活を始める。

1989/4 少年期

名古屋市で6年生からスタート。小学校は修学旅行目前というタイミングで転校するという、もう地獄のような設定。元々内気な性格なアタシは静かに息を殺してテンションの高い名古屋っ子の進学校で過ごし始める。
 イジメとかがない良い学校でしたが、社交性の低い私は最後までこの空気に馴染めず(そりゃそうだ)外国で生活しているようなそんな記憶。これは似たような経験者しか理解出来ないのかも。

さてその後、中学校から様子がおかしくなり内気な正確のまま静かなゲーマーの日々を送る。当時オタクと言う言葉が認知され始め、「いや、俺はオタクではない」と思いながらもまぁまぁ暗いオタクな生活でした。
ちなみに年頃ではあるものの、彼女やら色恋話など一切無縁で「波風立てず、毎日が平和で空気のように過ごせればよい」という無気力な中学生活。コアな友人も女子友達も皆無な一匹狼ならぬ一匹子ねずみレベルでした。
 部活動も一切なし、スポーツに興味なし。
 この頃から好き嫌いがはっきり出てきて、理科や歴史、美術は好きだけど国語、数学、英語がめっぽう嫌いという人になっていました。

さてお察しの通りゲーム三昧でお勉強をしなかったものですから、学校の勉学についていけなくなった私は持ち前の真面目さを発揮して「ニューホライズン」を一からやり直すも焦りで全く頭にも入らず、結局母や先生のススメで工業高校に入ることになります。ここからはまさに暗黒の時代です(怖)。

1993/4 暗黒時代

 今思えば・・・華の高校時代ですよ。
名古屋の中心部にあったその男子校は、ガラも頭もお顔も悪い連中しか居ないトンデモ高校。
 入学式、オリエンテーションを得て感じたこと。
やってまった
 こんな刑務所のようなところで3年間何をするというのだ。
 さっきまで女子に興味がなかった私、急にこの段階で欲するようになってしまう地獄絵図、ここは男子校。
ここで生き抜く力を身に付けたと言っても過言なく、過酷な高校生活がはじまりました。
 この刑務所で早々に思ったことは一つ、
「ちゃんと勉強して、ちゃんとした人になろう」
 通学1ヶ月目で普通高校に行った友人たちは「今頃女どもたちとキャッキャしてんだろうな」と勝手に思い込み、私はこの高校で常に上位を維持して「人生改善」を図ろうと本気で決意したものでした。
 この頃から興味がゲームから車へと変わり愛読書はエロ本ではなく(!)「ACARS」「GENROQ」「特選輸入車情報」といった外国車を愛するようになっていました。

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1996/4 暗黒時代は続くよ~専門学校

 高校を一応ちゃんと過ごした結果、勘違いした私はさらに進学するという暴挙に出ました。
高校時代、特に車が好きになっていた私はメカニックになりたいと思い始めましたが、よく考えると車の整備士なんてメッチャいっぱいいるだろうと考え、仮になれたとて私の思い描く存在意義(謎!)には到達できない!!
 もう一つ大好きだった航空機=戦闘機を作ろう(≒整備)と思い立ちました。18の春でした(嗚呼、バカすぎる)。

 そこで今の立ち位置(頭の程度のことです)から色々調べて見たものの、航空専門学科のある大学はなかなか難しいことがわかったので(当たり前)、専門学校に進むことにしました。
 この頃から私立高校→私立専門学校の流れは流石に親に「¥」の負担をかけていると感じ始め、「必ずや航空業界に就職する!」という強い意志をしっかり伝え、「欲しがりません、勝つまでは」を合言葉に岐阜県の航空専門学校に入りました。
 いやぁ流石は航空専門学校。変な奴ばっかりです(アンタもね)。
ほぼ男子校のままで「またこの環境か」と女性運(?)の無さにがっくり肩を落とすブサイクがおりました。

なんだかんだ言って長くなってしまいましたので、前半戦はここまでに。

後半戦は就職して今現在までをなぞっていきたいです。
基本文才がなくアホそのものです。語彙力にも乏しく、試行錯誤しながらなのでとにかく書くのが遅いので、毎日仕事の合間に書きながら消しては進み3歩進んで5歩下がってしまう勢いです。

また読んでくださいね。
最後までありがとうございました。
ご質問等はコメントやDMなどでもお気軽に。
#小牧の同級生は元気なのかな 。全く音信不通・・・

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