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小説を書いている

 こんにちは(挨拶)。

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 最近楽しいことが少なくて……。
 これ、鬱とかそういうのとはまた別の類だと思っているんですけれども、なんだろな……ちょっと変な話をさせてください。小説を読んだり書いたりすることばかりしているせいか、何と言うか「溜まっている」感じがあるので、それを晴らしたいんです。なのでちょっと……その、なんて言うか……。
 覚醒剤、ってあるじゃないですか。
 あるいは麻薬と呼ばれる、違法薬物。
 ああいうのって、こういう精神状態の人間が手を出すんじゃないか、みたいな恐怖を昔からずっと持っているんですね。
 いやいや、もちろん手を出す予定も興味もないんです。逆にすごく嫌だからこそ、常にその存在を思い描いているという部分があるくらいの話なんですが——なんつーか、要はヤクってやつは、いよいよ次のステップなんじゃないか、って感じがするんですね。あのー……小学生の頃とかって、ゲームするとか、漫画読むとか、そういうことで毎日超楽しかったじゃないですか。友達と遊ぶとか。そういうことで全然楽しくて、日々面白おかしく生きていられた。なんですけど、やっぱり大人になるに従って、そういう部分に鈍くなって行くと思うんです、人って。
 だから高校、大学、社会人と進んでいく中で、それぞれの面白さというか、その時代時代の新しい遊びを覚えていくんだと思うんですよ。性的な遊びだったり、アルコールに頼った遊びだったり。で、大人になれば大人になったで、また違った遊びを覚えて——旅行だったり、金に物を言わせてみたり、そういうことで何とかバランスを取って人は生きていくんだと思うんです。
 なんですけれども。
 どっかで「あー面白くない!」ってなるタイミングがあると思うんですよね。あるいは「気持ち良くなれない」とでも言いますか。何をしていても、今までしてきた行為の焼き直しなんじゃないか、あの栄光の時代にはもう戻れないから楽しめないんじゃないか、老いていく一方の自分は、もう今まで楽しめてきたはずの行為で楽しめなくなってしまったんだ……みたいな恐怖を覚える。
 で、その恐怖から逃げるために、それでもハッピーでいるために、ヤクというものに手を出すようになるんじゃないか。
 こういうことを、十代の頃から僕はずっと考えていて、で、最近ようやくそのステージが自分にも来たんじゃないか、と思ってしまっているんですね。

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 もちろん「違法薬物に手を出します! チャンネル登録よろしくお願いします!」という話ではないですよ。
 ただなんか……色々な幸福の近道というか、「うーん面白くないなぁ、暇だし○○すっか!」の○○の部分が、最近どんどん減ってきている。感性が鈍くなっていたり、新鮮味がなくなっていたり、そういうことが多くて、ちょっとげんなりしているのです。
 新作ゲームが出る! となったら、まあ最近もゼルダの伝説とかめちゃくちゃ長時間プレイしていましたし、楽しめることは楽しめるんですけれども……うーん、それも奇跡的にゼルダが面白かったからであって、ゲームという趣味を続けているわけでもない。
 となると、もう小説書くしかないか。
 大体の場合、僕はそんな思考に陥ります。
「やることないし小説書くか」みたいな。
 しかしながら……こんな、三十四年くらいしか生きていない若造が、しかも別に大した文章力を持っているわけでも、経歴を持っているわけでもない僕が言うのも烏滸がましいんですけれども、僕がやっていて楽しい小説を書く際の醍醐味って、「考える」ことなんですよ。「書く(キーボードを打鍵する)」という行為も結構好きだし、当然「読む」も好きなんですけれど、トロの部分は「考える」にある。
 となると、「読んでもらうこと」「感想をもらうこと」「完成させること」はそこまで楽しいことじゃない。それは転じて「知名度が上がること」にもあまり興味がないということになる。自分の中で考えた物語が、うまいことハマった時に、一番楽しい。それ以外は付加価値でしかなくて、だから僕は宣伝にも、フォロワーが増えることにも興味がない。お金を稼ぐことにも当然興味がない。「考える」が面白いからやってるだけなんですね。
 そうなってくると、僕の小説の奥義みたいなのって、もはや「書かない」なんですね。いやいや福岡くん、書かないと小説にならないよ。確かにそうなんですけれども、これは僕自身が楽しむことを主題とすれば、書く必要なんかないんです。書いている間に発生する謎の現象(キャラクターが動くとか)や、書き終えたあとの達成感はもちろんあるんですけれども、基本的には「考えた通りに文字を書いたら小説が完成する」なので、それってもう、あとは事後処理、消化試合であって、面白いポイントがないんじゃないか、俺は小説を書いても全然楽しくないんじゃないか、という危惧が結構前からあったんです。

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 あと宗教の話もしないといけなかった。
 僕は無神論者を自称しています。いや、正確に言えば、実は僕は僕自身を唯一神と定義している頭のおかしい宗教家であり教祖なので、他宗教に宗旨替えすることはないんですけれども——もし僕がそういう心の強さを持っていなかったら、今って宗教に魅入られる絶好のチャンスなんですよ。こういう精神状態にいる人間というのはとにかく心の隙間が大きいですから、大きな物に寄りかかりたくなる。もちろん宗教と言っても、それは広義であり、ネットミーム的な意味での宗教です。信仰、と言った方が良いでしょうか。推し、とも言い換えられます。とにかく自分の人生を預けても大丈夫な存在に魅入られる可能性がある。
 どちらに転ぶか、だと思うんですね。つまり、ヤク宗教です。辛いことから逃げるために、楽しめない今の停滞した人生に終止符を打つために、あるいは麻痺するために、一時的に何らかの出来事に没頭する。それこそが救いであります。物理的快楽を選ぶか、精神的安寧を選ぶか、ふたつにひとつ。幸いにして、僕の人生は監視されていない。第三者の目はどこにもない、一人暮らしの生活です。小銭もいくらか持っている。やろうと思えば出来ることはたくさんある。
 ただ、僕はそのどれをも選択したくない。
 自分なりの矜持というものがあるので、そうしたことに手を出したくない。これは個人の性質の問題です。違法薬物に限らず、犯罪行為には興味がない。宗教に関しても、唯一神なので手を出せない。さてそうなると、酒だったり、食事だったり、惰眠を貪ったり——というところに脱線するんですが、まあ酒は飲むにせよある程度自制が効くようになったし、酒で得られる喜びは最近減ってきた。酒に慣れてしまったのでしょう。多分一生分飲んだから、酒単体を楽しめるステージは終わってしまった。食事も最近、多く食べられない。生物的な衰退ですね。睡眠についても、最近は割と充分に取れていますから、「泥のように寝たい」という気持ちもない。性的な方面で満たされたいという想いも少ない。もういい年ですし、充分に経験もしてきたし。その性の向こう側にある新たな扉(一般的に『特殊プレイ』とされるようなもの)にも、そこまで興味が湧かない。
 じゃあ、どうするんだ。
 今後の人生、俺は何をすればいい。
 あと死んで行くだけじゃないか。ただ労働して、金をもらって、金を払って、日々過ごしていくだけか? そんな人生でいいのか? おいおい、お前はどうするんだよ。君たちはどう生きるんだよ!!!

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 仕方ねえし小説を書くかと。
 最近、上述したような悩みが常にあったんですが、色々と偶然が重なったり、『姑獲鳥の夏』という小説を読み直したことで、原点回帰しました。
 ひとつ前の記事でも触れたんですが、

 僕はこの『百鬼夜行シリーズ』に相当な影響を受けているらしいことを、最近『姑獲鳥の夏』を読み返したことで理解したんですね。無意識のうちに多大なる影響を受けていた。で、根底にはこういう、歴史というか、知識というか、そういうものをこねくりまわした小説が結構好きらしいと。
 自分では自分のことを、キャラクター小説書きだと思っていたんです。が、実際に前述の影響を受け入れた後で考えてみると、僕はそういう歴史や知識を盛り込んだ小説を書きたいっぽい。あんまり一般化されていない知識とか、言葉とかを使って、それを利用した小説が書きたい。だから、それをちゃんと書いてみるっていうのはどうか? そうすれば、ヤクにも宗教にも手を出すことなく、人生を楽しめるのではないか? と、ほとんど溺れかけた人間がなんとか息をするために水を掻くような気持ちで、今小説を書いているのですね。
 且つ、これは従来の「考えるのが楽しい」というトロの部分とは別に、「小説をちゃんと書く」という部分に注目して書こうとしているのです。普段の僕は、考えがまとまって、終わりが見えてしまうと、あんまり小説を書く気にならないのです。それはもう「読み終わった小説」ですから、すぐに次の新しい物語に着手してしまう悪い癖があります。完結させない病です。なんですけれども、そこをあえて、苦しんでもちゃんとやろうと。「書くこと」、あるいは「完成させること」を喜びとして、トロの部分として、執筆のサビとして認識出来れば、人生が少しは豊かになるんじゃないかと考えているのです。

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 思えば僕の中にある「物語を考える」はほとんど自動的に行われる行為なので、小説を書きたいというよりは、「頭にこびりついた妄想を言語化して外に追い出す」ために小説という媒体を利用している節があります。絵心もないし、漫画を描く趣味もないし、小説という媒体が一番向いているからそれを利用している。だから割と文章を書く速度も速いですし、書こうと思えば書き続けられる。なんですが、時間がたくさんあった昔と違って、今は思考速度に打鍵速度が追いつかない。仕事中とか、通勤中とか、家事をしている時間とかに物語はどんどん先に行ってしまって、いざ打鍵をしようとすると「もう考え終わった部分を今からわざわざ打鍵しなきゃならないのか……」みたいな気持ちになってしまうわけです。
 嫌だなと。
 そういう「嫌だな」が積み重なって、次第に手を付けなくなって、更新が止まる作品がいくつもあります。「もうここまで読んじゃったから」というか。うーん、身勝手な話なんですけれども、自分の小説に対する向き合い方は基本がそうだったのです。「読むように書く」の速度が一致した時に、ようやく完結まで書ける。
 それを克服しようと。
 ちょっとゆっくり考えることにしたんですね。「次の展開はどうなるんだろう」という予測は、書き終わるまでしないことにした。とにかく、一章分だけ考える。一章分だけどんな展開になるかを考えて、それをリアルタイムで書く。一章分書いたご褒美に、次の章を考えても良いこととする。そうすると、次も一章分が書ける。この方法を採ると、楽しめることに気付いたんですね。「そんなの当たり前だろ」と言われそうですが、例えばそうだな……一度最初から読み直す! とかやると、その読み直している間に物語が勝手に先に進むんですよ。先に進むから、置いて行かれてしまう。そうすると、思考と打鍵がズレてしまって、書くのが面倒になってしまう。
 あとは本を読んでいる間とかにも、「あ、あの話の次の展開はこうしよう」と思いつくことがあるんですが、そこで遅れを取る。だから今は、そういう状態になったらもう本を読むのをやめて打鍵をする。打鍵が出来ない状態の時は、もう考えない。他のことを考える。そうやって制約を持たせることで、「書くこと」を楽しむ書き方にシフトしようとしているのです。「書くときに同時に考える」の方が、よほど効率が良いことに気付きました。

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 相変わらず支離滅裂な文章を書いていますが、いやなんか……そういう風に書いていて、今ようやく書いている小説が半分くらいまで書き終わったので、いい調子だな、これはちゃんとどこかに載せられそうだな、という気がしてきたので、なんか文章として、栞みたいな感覚で残しておこうかなと思った次第です。
『姑獲鳥の夏』に影響を受けまくっている、という自分を自覚した上で書いているので、逆に思いっきり『姑獲鳥の夏』なり『百鬼夜行シリーズ』の影響を受けた小説を意識的に書いているんですけれども——正確に言えば、当時はそういうつもりなく書いていた短編を書き直しているんですけれども——「意識しているんだ!」という自覚を持ってみると、「ここ影響受けすぎだな……」と思ってわざわざ逆張りしたり、表現を変えたり、という不自由さがないので、かなりのびのびと小説を書いています。なんか報告みたいな日記になってしまいましたね。
 いやね、結構最近、不安だったんですよ。色々楽しめなくなってしまって、今後の人生、僕は何をするんだと。ギター弾いたり、ピアノ弾いたり、飯を食ったり、ゲームしたり、映画観たり、本読んだり。そういう娯楽はあるにはあるんですけれども、脳が灼けるような時間が取れなくて、一体何のために生きているんだと、そういうことを日々考えては苦悩していたんですけれども——十何年かの時を経て、「あー! 百鬼夜行シリーズの影響を俺は受けています!」という自覚をしたことで、なんだろう、呪いが解けたというか、「あ、これやっていいんだ!」みたいな自由さを手に入れて、結構小説を書くのが自在になってきた感があります。
 一般的な言葉で言えば、ここ数年、「スランプ」状態だったのかもな、という見方も出来ますが……果たしてどうなんだろう。分からないですけれども、とにかく、フルタイムで残業もたくさんしたり、土日も仕事っぽいことをしたりしながら、家事をしたりしながら、色々人生的に忙しい部分もありながらではありますが、それでも結構、書けているんじゃないかな、という感じです。
 Xの履歴を遡ると、8月13日(日曜日)の昼くらいから書き始めていて、基本的には土日くらいしかまとまった打鍵時間が取れませんから、8月26日現在、ちゃんと打鍵と向き合えているのは4日目になるんですけれども、100,000字近く書けているので、ざっくり計算で1日25,000字くらい書いている計算になるんですかね。分かりませんが。とにかくこの調子で、誕生日が来る前には完成させたいなという気持ちでおります。
 結構マジに久しぶりにちゃんと小説を書いていて、楽しかったり大変だったり面倒だったりしているところなんですけれども、方法論が少し軌道修正されて、今までみたいな「運が良ければ完成する」という博打々鍵法(ばくちだけんほう)から少々論理的な法に移行したので、これが確立出来れば、今後の人生はもう少し小説を書きながら暮らして行けそうでほっとしています。

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 まあなんだ、書いてますよ、ちゃんとどっかに載せそうですよ、という報告でした。小説のタイトルは『林檎森の忌子』と言います。昔どこかにちょっと載せた気がしますが、全く別の物語になりそうです。
 自分好みの超絶美少女が書きたいというだけの動機で書いているので、まあ小説としてはただのキャラ萌えに分類されるような気もしていますが……完成した暁には何卒よろしくお願い致します。
 以上になります。
 次は法廷で会おうぜ!

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