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なぜ人気の食堂を譲って、民宿の女将になったのか――青森県大間町にて

気仙沼ニッティング「東北探検隊」8日目。青森県弘前市から大間町へ。津軽三味線やりんご、そして白神山地など、弘前が面白すぎて連泊してしまったつけで、今日は、北東の大間へ、クルマで4時間半かけて走りました。マグロの一本釣りで知られる、あの大間です。

大間では観光案内所で紹介された民宿の一つに泊まりました。玄関を開けると、民宿というより、何度か来た友達の家に入ったかのような。奥から「はい、さっき電話された方ね」という元気な声で現れた女将さん。「どうぞ、上がってね」と部屋に案内してくださいます。まさに大地の母。初めてお会いした方とは思えない、ざっくばらんな方でした。

女将さんは、大間に住みはめたのは40歳を過ぎてから。それまでは埼玉で病院の調理師をされていたそうです。ところが、ずっと「自分で店をやりたい」という思いが強かった。そんな折、親の出身地である大間で店舗ができる場所があることを知り、ここに引っ越してきて食堂を始められました。ちなみにご主人は、「逃げられるかと思った(笑)」そうですが、埼玉での仕事を辞め、大間についてきてくれました。キッチンは女将さんが担当、ご主人はホールを担当。お店は、大間のマグロやウニ、イクラなどを惜しみなく使った丼物が評判を呼び、大変繁盛したそうです。
二輪車でツーリングをする方ならご存知かもしれませんが、店名は「かもめ食堂」(映画の『かもめ食堂』とは無関係)。本州の最北端に位置する大間は、ツーリングの巡礼地のような場所になっていて、この店は、大間に着いたらバイカ―が必ず立ち寄る聖地になったのでした。ツーリング中に仲間とはぐれると、合言葉は「かもめ食堂で集合」。雑誌やテレビで何度も紹介され、バイカ―用の地図にはお店の名前まで載るようになったほどです。

ところが、いまから5年ほど前にご主人が亡くなられたのと同時に、お店を他の方に譲り、この民宿「御宿かもめ」だけを運営されているそうです。そんなにお客さんがついていた店なら、人を雇って続けてもよかったのでは。そう伺うと、「あの人がホールにいないと無理!」ときっぱり。接客業と無縁だったご主人は、ホール係が天職だったかのように才能をいかんなく発揮され、大勢のお客さんの接客をこなされたそうです。この女将さん、サービス精神旺盛で十分に相手を喜ばせることができる方なのに、「私がホールだったら、絶対に繁盛しなかった」と仰るほどです。「主人には感謝してるのよ」

ご主人が亡くなられた後の寂しさは、愛犬の存在が薄めてくれているようです。最近は、東京にいる娘さんが、「こっちに来ない」と誘ってくれるそうですが、「この犬がいるからね、ムリなのよ」と。この犬、可愛いのですが、よく吠えるんです(笑)。「こんなに吠える犬って東京じゃムリでしょ?」と言われ、うまく返す言葉が見つかりません。
「それに、リピーターのお客さんに申し訳なくて。もう毎年来てくださる方とか、5回、6回来てくれている方とか。年配の方も多くて、来られない年があると、『あの人、大丈夫かなあ』って思っちゃうんだよね」と。
この民宿は、料金が驚くほど安く、かつ部屋も広く清潔で、本当に友だちのお母さんによくしてもらっているような居心地の良さでした。「『ぐっすり眠れたよ』って言ってもらったら、それだけで嬉しくてね。体が大丈夫なうちは、続けようかなと思ってるの」。

この女将さんの話しをもっと聞きたくなり「明日も泊めてもらいたいのですが」と申し出たら、「ごめんね。明日、お休みして外出するのよ」(笑)と。最後まで友達のように接してくれる女将さんでした。


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