山形に居ついてしまったデザイナー――山形県山形市にて
気仙沼ニッティング「東北探検隊」20日目は山形県の最上町から天童市を経由して山形市へ。
僕は東京の人間なので、どうしても「東京から見た」東北を描きがちになります。その点を認めつつ、東北にはこんな人もいるんだと思ったのが、山形市で「アカオニ」というデザイン会社を経営する小板橋基希さんです。デザインの領域は、商品、写真、パッケージ、ロゴ、グラフィックからウェブまで幅広く、機能的でありながらどれも温かく、無機質になりがちなウェブのデザインも手触り感が感じられます。作品のどれかに見覚えのある方も多いのではないでしょうか。
なぜアカオニは山形に拠点を構えているのか(東京視点の悪いクセなのですが)、興味津々でした。もともと小板橋さんは群馬県出身でした。大学で山形の美術系の大学に進学。そこから4年ではなく、7年、この山形で学生生活を過ごされました。「学生時代、何をやっていたんですかね。遊んでいたと言っても、川や山や海に行っていたその繰り返し。あとは映画見たり。建築科に入ったのですが、映画監督になりたくて映像の学科に移ったり」と、試行錯誤しながらもこの地での生活を満喫されていたようです。
「7年も学生をやっていると、自分で学費を稼がないといけないじゃないですか。そこで学生時代から結婚式の写真撮影のアルバイトをやっていました」。
映像専攻の学生なら写真を撮るのもお手のもの。おまけにデザインもできたので、撮影した写真をパッケージして納品するまでのすべてができました。
「そうなると、自分たちで会社つくってやろうという流れになり、卒業後はカメラマンの友人らと一緒に会社をつくってやってました」。写真の撮影の仕事をしながら、ご自身はデザインをもっとやりたくなり、デザイン会社としていまの会社をスタートさせたのです。
アカオニの立ち上げには、大学の後輩であり、かつ卒業年次としては先輩にあたる後藤ノブさんも加わりました。後藤さんも岩手県から学生として山形に来て、卒業後も山形の印刷会社に勤めておられました。
当初は、とにかく稼がなければいけない。歩合のいい仕事を狙って受注したりもしていたそうです。ところが、それでは仕事は来るようになっても、続かない。デザインや写真を仕事にしようという人間なら、山形ではなく東京などに出て行く傾向もある。そんな人たちを引き留めるためにも、「なぜ山形でデザインの仕事をするのか」という意義が求められることになります。
その頃の想いからか、いまのアカオニのホームページには、デザインを生業とする人間としての想いが語られています。「前を向いた思考そのもの。」という言葉で始まるこの文言は、読むたびに新しい意味が感じられます。
アカオニさんは仕事も順調に広がり、デザインした商品パッケージやウェブを見た企業から仕事が舞い込むようになりました。
仕事を依頼するクライアントも県外の会社が増え、東北各県、そして東京からも。ウェブのデザインに関しては、いまではクライアントの半分が東京だそうです。依然は東京に出張して打ち合わせをすることが多かったそうですが、いまではほとんどスカイプとメールやチャット。時々東京の方がわざわざ山形に来てくださるそうですが、その気持ちよくわかります(笑)。
「山形にこだわる理由は何ですか」とお聞きすると、「満員電車とか、人込みなんかが嫌いなんです。自然が好きなんですね」と月並みなことを仰いますが、本心はどうなんでしょうか。ただし気負いはまったく感じられず、いたって自然体。
クライアントだけではなく、社員も東北各県、さらに千葉や東京からも集まるようになり、もはや山形の企業というより、山形に拠点のある全国的な企業になりつつあります。「群馬には18年住んでいましたが、山形はもう23年住んでいますからね。地元の人間と言えるかどうか分かりませんが」と、控えめながら地元の人間としての自負も垣間見えます。
「いまは、特に若いデザイナーやカメラマンで地方にいながら、東京から仕事を依頼される人が結構、多いじゃないでしょうか」。確かにネットの進展でこういう動きは加速しています。その先駆者として、山形で10年以上実績を積み重ねてこられた小板橋さんは、いまなお面白いものを探そうとする目をされておられます。
今後は、さらに山形でデザインの仕事をする人も増えるでしょう。そして、東京から仕事を依頼と称して山形に出張に来る人も。
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