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800頁を超す『世界標準の経営理論』の4つの読み方

これまでの教科書とは決定的に違う

先日発売された『世界標準の経営理論』は、これまでの経営学の教科書とまったく違う。

大きな違いは3つあり、一つはびっくりするほど読みやすいのだ。教科書につきまとう、あの退屈さがない。引き込まれるように読むことができる。理論の本でありながら、ビジネス小説を読むかのように「その後、どう展開するの?」と著者の罠にまんまと引きづり込まれていく。これは数頁読まれると分かるだろう。

2つ目は、ビジネスパーソンが理解できるように工夫されているところだ。学者の書いた教科書は、我々ビジネスパーソンが読むと、あたかも彼ら学界の世界にこちらから入らないといけないアウェイ感がある。学界の知を学ぼうとするなら、学界の流儀に従うのは礼儀でもありこちらが歩み寄る努力はどうしても必要になる。ところが、本書は学界の人が、学界の知を正確にきちんと伝えるという軸を変えることなく、僕らビジネスパーソンの世界に自ら降りて来て、こちらの理解しやすい書き方をしてくれているのだ。おそらく著者は学者仲間ではなく、ビジネスパーソンを頭に描きながら本書を書かれたのではないか。その上で、骨太の理論をきちんと伝えようというこれまでにない試みをされたのである。

そして3つ目は、構成が全く違うことである。従来の経営学の教科書といえば、戦略、ファイナンス、マーケティング、M&Aなど事項ごとに章立てされている。それは、経営に必要なそれぞれの機能に応じて紹介することで、それらに必要な知識やフレームワークをまとめて説明しようという意図である。
本書のアポローチは、その逆だ。これら事項に通底する理論を、経済学、心理学、社会学という由来ごとに章立てしていることだ。その意図は、それぞれの事項への対処法として理解するのではなく、その背景にある理論を理解することで、汎用的な思考のツールを提供しようとするものだろう。
経営に携わっている人、あるいはビジネスの現場にいる人ならわかるだろうが、状況が日々変化する現場において、同じ事象は発生しない。それぞれの企業ごとに発生する事項の意味合いも異なる。それぞれに適切なハウツーなど、存在しないのだ。そこで理論を知ることで、実際に起こった事象と理論を行き来する思考を通して、目の前の問題に最善の案が打てる。つまり具体と抽象の往復運動こそが経営者に求められているのだが、そのための武器を提供しようとするのが本書の真骨頂だろう。

この読みやすさと、ビジネスパーソン目線、そして理論ごとの章立てという点において、画期的な経営学の教科書となっている。これからの大学や大学院などの授業も、この一冊で大きく変わるのではないかとさえ思う。

とはいえ、本書を書店で見かけると怯む人もいるだろう。なんせ全編で832頁という、辞書並のデブ本である。こんな分厚い本を読めたらカッコいいなと思っても、これだけの分量を読む時間があるか、読み通す気力があるか。そんな気がしてもおかしくないし、僕も実際にこの本を手に入れた時は、眺めるだけでもしようという程度であった。しかし読み始めたら引き込まれ、読み切って本当によかったと思う。

本書の価格は2900円(税込)と、この分厚さからすると破格の安さである。まずは、騙されたと思ってぜひ手に取ってもらいたい。そして、このデブ本をどう攻略するか。ここでは、研究者ではなくビジネスパーソンに向けて4つの読み方を紹介したい。

読み方その1:飾っておくだけでいい

この本は飾っておくだけで元が取れる。白を基調とした知的な装丁で厚さが5センチ弱と辞書並である。この本をオフィスや自宅の本棚など、自分の目に入るところに置いておくだけでテンションが上がる。読むのはいつでもいい。知的なものに囲まれているという実感が得られるし、こういう本をいつか読もうとしている自分に期待できる。会社の机においておけば同僚にもドヤ顔できるだろう。オブジェとして存在感があるし、なんだったらインスタ映えもする。ただし、その場合でも序章だけは早めに読んでおこう。「これ、どんな本?」と聞かれた時に答えられないと、ドヤ顔も見掛け倒しに終わってしまうからだ。
 そして、読むのはいつでもいい。今すぐ読もうと思わなくても、後述するように、どんな業種や職種であろうと、この本を読んでみようという機会は必ず訪れるはずである。
「積ん読」ならぬ、「飾り読」である。

読み方その2:どの章から読んでもいい

著者の入山章栄先生が勧めているのが、この読み方だ。まず序章を読む。序章は、本書の読み方を指南する章であり、本書の意義や読み進める上でのマインドを教えてくれる。その後は、自分の関心のある章から好きに読んでいい。この読み方が可能なように、本書はどの章も独立させて書かれているので、前の章を読んでいなくても理解できるように丁寧に解説してある。

例えば、ガバナンスに関心があるとする。であれば、序章を読んだ後、第5章、第6章、第7章、第27章、第29章と読み進める。これらには、取引コスト理論やエージェンシー理論が紹介されている。組織について学ぶには、第3章、第7章、第11章、第23章、第24章、第27章と読み進める。

僕はこの本の2900円という価格設定について、ネットフィリックス戦略だと思った。サブスクリプションでは、膨大な量のコンテンツを用意して、ユーザーは自分の好きなものだけ自由に手に取ることができるお得感を提供する。この本も、いくつかの気になる章だけ読んでも元(2900円)が取れるようになっている。そして購入することで、いつでも好きな時に好きな章を読めむことができるのだ。ネットフリックスの番組をすべて観る人がいないように、好きなところを好きなだけ読めるのが、この800頁で2900円の本の使い方かもしれない。

その3:究極的にエッセンスだけを知るには

気になるが読む時間が圧倒的にない。この本のエッセンスだけでも手早く知っておきたい。そんな人が、最も凝縮した形で本書の魅力を知りたければ、序章と第40章を読むことをお勧めする。序章については繰り返さないが、第40章は本書の終わりから3つ目の章で「経営理論の組み立て方」という章だ。

本書は6部構成で、第4部の第32章まではそれぞれの理論を紹介し、第5部は「ビジネスと理論のマトリックス」という部タイトルで7章立て、そして最後の第6部は経営理論をつくる人向けでもある。

第40章は理論構築する研究者向けの内容なのだが、この章を読むと、ビジネスでの具象を抽象との往復思考をする意味がよくわかる。また論理的な考え方とコミュニケーションの土台とでもいうべき要諦が示される。しかもわかりやすい。実際に読者が直面している事象に対し、どういうアプローチで問題の本質を見抜き対処法を考えるか、そのための思考の道筋を示している。まさに本書で著者が読者に身につけてもらいたい「思考の解放」が最も伝わる内容ではないだろうか。

最初は、この章は研究者向けに書かれたものだろうと思っていたが、読んでみると、これが問題解決の思考法として非常に刺激的であった。濃厚なスープの原液として読んでもらいたい。そして、序章と第40章を読み終えると、おそらく第12章と13章も読んでみたくなるり、いつの間にか「手早く知りたい」という当初の目的が変わっているだろう。

その4:すべて読む

著者は好きなところだけでもいいと勧めてくれているが、この本を最初から最後まで読み通す醍醐味を是非味わってもらいたいと思う。その達成感は、タイムは問わず初めてマラソンを完走したような、滅多に味わったことができない達成感である。

全編832頁というと途方もないと思えるが、分解してみると読めるような気がしてくる。まず、終わりに索引などがあるので、本書は実質、800頁。1章を読むのに、20分から30分である。ページ数の割に意外と頁が進むのは、図表が多いこと、そしてビジネスパーソンなら読む必要がない主要論文の一覧や注なども多い。本書はネットフィリックス戦略なのでビジネスパーソンにも学生にも研究者にも必要なものが掲載されているが、これら論文一覧や注までビジネスパーソンは読まなくていいだろう。おまけに各章が独立して読んで分かるようになっているので、通読してみると、前章に書いてあることを再度説明しているところもあり、流し読みできる部分が意外と多いのだ。
章ごとの構成も丁寧に丁寧に理論を解きほぐすかのように書かれ、その理論の例になるような、よく知る企業の事例が紹介されていて、おまけにどの章も意外な結末を迎える。

1時間くらい読んでみると、思った以上に読み終えた頁が厚いのに驚くだろう。これならいけるかも! マラソンに喩えるなら、平坦な景色の道をひたすら走らされているのではなく、色とりどりの風景が変化していくような楽しい道を走っているようなものだ。
ちょっと時間があけば1章分読む。1時間くらい時間があれば3章分進む。そうやっていけば、当面のゴールとなる第32章が読み終え、ここで600頁である。

ここまできたら最終ゴールも見えてきたも同然である。32の理論を紹介した第4部までが終わり第5部のビジネスと理論のマトリクスは、ここまでの復習のように読み進めることができる。ここまでで約740頁。最後の第6部は、マラソンの40キロ過ぎに相当する。そもそも理論とは何かを学ぶに相応しい章で、ここは骨太だが、理論を構成する思考法を学べる絶好の内容だ。ラストスパートの気持ちで集中して読んでほしい。

こうして終章にたどり着き、本文最後の797頁を読むと、著者が膨大な分量を通して本書で伝えたかったことが、(実際には流さないが)汗と涙と共に伝わってくる。著者がどれだけの熱意で書いたのか、そしてあたかも自分も一緒にこの長大なプロセスを走りきったかのような爽快感がある。もちろん、32の理論が頭の中に格納された満足感とともに、それを自分が読みきった自信を感じられるはずだ。

大きなプロジェクトをやり遂げた後のような、大きなイベントが成功裏に終わった後のような。そんな気分をまるで著者と一緒に打ち上げをしたくなるような満たされた開放感である。本を読んでここまでの快感を得られることはあまりない。これこそ分厚い本独自がもつ魅力だが、それをこの本で味わってみてはいかがだろうか。

経営学とは何か、経営理論とは何か

蛇足ながら、僕はこの本を読み終えて経営学とは何かを再認識した。それは、まず人についての学問である、ということ。経営学の3つのバックボーンとして心理学と社会学が連なっていることからも分かるし、そもそもビジネスとは人が魅力を感じる製品やサービスを提供し続けることであり、それらを提供する会社という組織が活性化され、そこで働く一人一人の人がいかに前向きに動くかにかかっている。受け取るのも提供するのも人であり、その人たちを構成する組織について知見を深めること経営の知見である。
3つのバックボーンのもう一つである経済学では、取引において合理的な意思決定を下す人間像を前提においている。この「合理性」は人の一面しか表現していないのではないかという批判は常につきまとうが、本書を読むと合理性の解釈が今ではここまで広がっていることに気づく。情報の非対称性を説明する第5章では、人の認知には限界があり、限られた情報の中で意思決定する頼りに「シグナリング」があると語る。つまり、その人についての情報が足りない時に、その人の学歴などでその人を理解しょうという手がかりにするということだ。これらは、特に今ではステレオタイプに人を見る見方として十分でないと思う人が多いが、人の認知の限界からこのような見方をしてしまうことが、ある種の合理性な情報処理であると説明する。こういう記述を読むと、経済学は人を冷たい合理的な人間として扱うという見方より、一人ひとりの、人としての能力の限界やか弱さに光を当てていると思え、従来よりその前提の深さを感じる。

 もし意思決定について再考したい人が本書を読むにはどこを読むべきか。答えは「全部」である。そう、経営理論とはおしなべていうと、人がいかに意思決定するかの理論と言っても過言ではない。なぜなら、経営の目の前で起こっていることは、複雑に物事が絡み合った、それぞれ個別の事象である。おまけにその状況に関わる「人」は同じではない。なので正解はないけど、それぞれ意思決定していくのが経営に携わる仕事である。いかに意思決定するか、そのための答えではなく、いかに考えるかの軸となる理論がまとめられているのである。そう、経営学とは意思決定の科学であることを、本書で再認識した。




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