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イタコさんに会いに行きました――青森県むつ市にて

気仙沼ニッティング「東北探検隊」9日目。青森県大間町からむつ市へ。
「イタコさんに話しを聞いてみたい」。そんな当てもない願望も口にしていたら、大間で知り合った方が「知り合い、いるよ。連絡先教えてあげる」とイタコさんの電話番号とご住所を教えてもらいました。朝の10時を過ぎるのを待ってお電話。見事につながったのですが、この方、年配の男性で耳が遠いとのことで、「聞こえないんです」と言われ電話は切れてしまいました。

どうしようか迷いましたが、せっかくの機会なので、ダメ元でご自宅に直接伺ってみることに。カーナビにご住所を入力すると、所要時間70分。そこから延々とクルマを走り、目的地に着きました。場所は、JR下北駅からクルマで10分ほどのところ。ご自宅は、外壁がオシャレな洋風の素敵なおうちでした。ご迷惑にならないか、ためらいながらも深呼吸してチャイムを押すと、年配の女性の方が出て来てくださいました。
まずは突然の訪問をお詫び。そして大間の方から紹介していただいたこと、東京から来た旅行者であること、お話しを聞いてブログで紹介したいという旨をお伝えすると、「分かりました。おあがりください」とあっさり通してくださいました。

中から出てこられたイタコさんは、Nさんという今年84歳になられる方です。耳が遠いのですが、「では、はじめましょう」と。お話しを伺うつもりで訪問したのですが、「口寄せ」をする流れに。せっかくだからお願いしました。
「どなたを下ろしますか」と聞かれ、新入社員時代にお世話になった上司の方にしました。この方の亡くなられた日時、性別、事故死か病死かなどを聞かれ、「もうこれ以上聞かん」と。さらに口寄せを始める前に言われました。
「必ず下りてくるとは限らない。いいですか。それと、必ずしも聞きたいと思っていることを言ってくれないこともある。いいですか」と。厳かな言い方に緊張感が走りました。

さっそく開始。Nさんは、重むろにお経のようなものを2分ほど唱え、それから僕の元上司が下りてきたようで、語り出しました。口調はきつく、僕のことは「お前」に。内容は「お前、女の人を甘く見てるんじゃないぞ、いいか!」「お前、人の話しをちゃんと聞くんだぞ、いいか!」ということを何度も繰り返される。人の話しを聞いてないなど、痛いところを突かれます。それと確かに元上司は、働く女性をとても大事にされる方でした。でも、決して説教をされない方だったので、あちらに行かれて性格が変わられたのか。お説教のような話しが20分ほど続き、また最後にお経のようなものを唱えて終了。
僕は「ありがとうございました」と頭を下げていました。そして「N先生」と呼び方も変わっていました。

口寄せが終わる頃、最初に出てきた女性がいつのまにか現れ、果物やお茶を出してくださいました。N先生の奥さまでした。ここからN先生にイタコになった経緯などお伺いしました。「イタコになったのは、5~6歳の頃。小さい頃から『変わった子』と言われてた。人を見ただけでその人のことを言い当てる子だったから。イタコは目の不自由な人が多く師匠も視力が弱かったが、自分は普通に見ることができる。男性のイタコはいま自分だけ。以前は(イタコで有名な)恐山でも口寄せをやっていたが、もう行かなくなった。イタコになるには修行が必要だが、適性がないと無理」とのことでした。そして話しは政治の話しへ変わります。むつ市の市議や県議会、あるいは国会議員の話しなどされました。僕はイタコのお話しも聞きたかったのですが、「人の話しを聞いとるか」とさっき言われた元上司の言葉を思い出し、1時間くらい政治の話しをしていました。N先生はますます調子が乗って来ます。

その頃、奥さまが助け船を。「この人、同じことばかり言うから、もう大変」と。聞くと、数年前までむつ市のホテルで宿泊客向けに口寄せをされていた。中には、これを目当てに宿泊される人や外国の方も。ちなみに、外国の方の「口寄せ」にはちゃんと通訳の人が入るそうです。高齢になり、いまは自宅に来る人のみに口寄せをされているようです。もちろんN先生の頭にはちゃんと亡くなられた人が見えているそうです。
奥さまは「でも、イタコって儲からない」と仰います。「あぶく銭みたいなものでしょ。だから入ってきてもすぐ出ていってしまう」と。地方からも随分と人が来られるようで、そういう方とはやはり特別親しい関係になり、いろんなやりとりが続くそうです。それがイタコならではの財産のようです。
立派なご自宅もイタコのお仕事で建てられたのかと思っていたら、「いえいえ、とんでもない。私も主人もずっと働いてきましたから」と。ちなみに、N先生は元自衛官で定年まで働かれたそうです。

奥さまとそんな話しをしている間も、N先生は上機嫌。「お前さんは立派な人だ。将来大成するぞ、国会議員になれる人だ」と。いつの間にか僕の呼び名は「さん」づけに。いえいえとんでもないですと返すと「隠しても、わしにはわかるんじゃ。お前さんのことぐらい」と敵いません。人を煽てて気持ちよくさせるのもお上手です。終始笑顔で煽ててくれるのでこちらも「そろそろ」と言いづらい。ようやく帰ることになると「そうか、また来てな。体に気をつけるんだぞ」と握手をして、手を振って見送ってくださいました。

イタコは亡くなった方と接するので、近寄りがたい人かと思っていましたが、N先生は、きわめて陽気でお話し好きのお爺ちゃんでした。

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