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一昔前のジャララバードで・・・。

2001年、当時のタリバン政権が崩壊したアフガニスタンへパキスタンから入ったことがある。一番目の車列だった。カイバル峠を抜け、到着したのが中村哲医師が亡くなった東部ジャララバードだった。タリバンはすでに敗走、追撃をおそれたタリバンは北部同盟の一部となっていた、モロウィ・ハリス氏一派にジャララバードを明け渡した。タリバン政権ができる前は元々ここを支配地にしていたそうだ。タリバンに追われタジクで勢力を維持していたのか、話を聞こうと近寄った兵士と話したタジク人の通訳が「タジク語だ」と驚いていたのを覚えている。そのモロウィ・ハリス氏が記者会見をしたときのことだった。軍閥の幹部としてナンバー2のハジ・カディール氏、(後の副大統領)が紹介された(副大統領当時暗殺された)。そうこうしているうちに通訳がそわそわし始めた。おびえる様子はただ事ではなかった。小刻みに震え、目は見開いている。「どうした?」そう聞いた私に彼は「あの、ひげの男、だれかわかるか?ヘクマチアルだ、初めて見た。やつは人の皮をはぐ、恐ろしいヤツだ」。そういって、前の人の影に隠れながら、じっとヘクマチアル氏を見ていた。元々は軍閥同士対立していたが、タリバン政権成立後勢力を弱めたのか、モロウィ・ハリス氏の会見に幹部として姿を現した。泣く子も黙る恐ろしさのようだった。人を殺すことが武功をあげることにつながり、それをまとめる軍閥のリーダーは容赦ない。交渉は殺し合い、それが内戦当時のアフガニスタンだったにちがいない。リーダーがリーダーなら下っ端も下っ端だった。当時日本人の小説家がアフガニスタン東部で行方不明になっていた。このときわかったのはハジカディール氏が保護して自宅に住まわせていた。現地入りしたメディアはその小説家を密かに探していたが、実際に目にすることは出来ず、ただ、彼の情報と解放を願うばかりだった。(その後自由の身となりカイバル峠からパキスタンに入り帰国した)。そんな中でも「日本人の情報知りたいか、金をよこせ」「日本人と話したいか?金をよこせ」軍閥のリーダーの自宅にいるといっているのに、下っ端が入れるものだろうか?金目当てならダメ元でだましにかかる、つまりは山賊の集まりだ。そんな連中と一緒に移動しながらビンラディンが居るというトラボラへと向かう日々だった。そんなある日、通訳が見つけた若い山賊兵士と、武器の隠し場所へ向かうことになった。「ここだ」そういって指さしたのは足下の穴だった。穴をのぞき込んでびっくりした。おびただしい量の地雷にrpg対戦車砲の砲弾、迫撃砲弾、様々な弾薬が所狭しと詰め込まれていた。「中に入って撮影しよう」そういう通訳だが、よく見えないところに入って地雷を踏んだらどうする?まだセットされているわけではないが、さすがにためらった。するとその山賊兵士が、するするっと中に体を滑り込ませ、RPGの弾頭部分だけをいくつか持ち出してきた。自分で使うつもりのようで、弾頭の推力をだす火薬の部分をもち、振り回して遊び始めた。RPGは弾頭が当たったときの形の変化で爆発、中から銅のたまが飛び出し、この玉が開けた穴にあとから、高熱のガスが入り込んで、戦車の中を焼く仕組みだ。持ち運びできる弾頭ではあるが、だからといって振り回されても困る。けがをするわけにも行かない。通訳に頼んだ「頼む、振り回さないようにいってくれ」。通訳はそのまま伝えたが、逆効果だった。山賊兵士は「俺が使い方を知らないとでも言うのかと言って機嫌が悪くなった」と通訳。武器を使えるのが一人前の男の条件だ。といわれても、怖くないかと言われると正直怖かった。「たのむ、せめてはなれてもらってくれ」。しかし通訳は伝えることなく、私にこう耳打ちした。「彼は命の意味も価値もわかっていない」。内戦続きだったこともあるだろう、山賊よろしく人をだまして金を取ることも悪いとは思わない文化もあるのだろう、個人的ないざこざでも殺し合いが交渉になる。私達の知る世界とは違う、難しい社会で長年活動してきた中村さんが地元の人にどれだけ受け入れられていたのか、言うまでも無い。あれからほぼ20年、アフガニスタンには、いまだに命の意味も価値もわからないままの文化が根付いているようだ。合掌。

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