自宅の窓から

「秋は夕暮れ。」

平安時代の文筆家、清少納言は秋の美しさは夕暮れ時にあると言ったらしい。彼女の有名な随筆『枕草子』の第一段中でのことである。「春は曙」というところまでは誰しもが聞いたことがあるあの作品だ。その冒頭は誰もが聞いたことがあるのに、この作品には春夏秋冬それぞれの美しい瞬間が描かれているということは意外と知られていないのかもしれないと思う。日本史や古典の授業の中で名前を勉強するだけでなく、少しだけその中身を覗いてみる。そんな時間を持ってみることは決して無駄なことではないと思う。

私にとって秋は「昼」だ。秋の空は高く、青い。時間はゆっくりと、そして静かに流れていく。その空の青さはどんな絵の具にも勝り、カメラが写す色とも異なる。聞こえてくる音はイヤフォンを通しては流れてこない。私たちの生きている世界は美しい。そんな恥ずかしいことさえも思ってしまう。そんな魅力が溢れている。こんなカッコいいこと言ってみてもなんだか少し許してもらえそうな気がする。それも秋のせいにしてやろう。全部秋のせいだ。なんか似たようなこと聞いたことある気がするし。

一応科学的な話でもしておこうか。秋は空気中の水分量が少ないため空が澄んで見える。一般的に空が晴れるのは高気圧のおかげである。この高気圧が夏と秋では少し異なる。夏の高気圧は日本の南、太平洋のあたりからくる。海の方から来るというだけでわかるだろうが、非常に水分が多いのである。対して秋の高気圧は大陸からやってくるため水分量が少なく、澄み渡るような空を作るのである。また、冬や春も大陸由来の高気圧が空を晴れさせるが、夏の間に育った草木が地面を覆うため、土が舞わず空を濁らせることもないのである。

と、まあこんな感じで秋の青らが美しいというのは科学的な裏付けもあることだということがわかってもらえるのではないかと思う。この文を見ている誰かがいるなら是非とも秋の空を見上げてもらいたい。

最後にそもそもなぜこんなことを書いているのかということを記しておこうと思う。新型コロナウイルスの流行によって、旅行という非日常は失われてしまった。桜や紅葉といった木々の移ろいを目にすることや、砂浜で夏の太陽に焼かれることは無くなった。家から出ないのだから衣替えだってそれほど重要なことではない。生活から季節が失われてしまったのではないだろうか。しかし、それでも世界は進んでいく。春が来て、長い梅雨を経て夏になり、そしていつの間にか秋が来る。その次には冬が控えていて、また春を迎える。そうやって世界は様々な姿を見せてくれる。たとえ同じ景色であっても季節が変われば全く違うものになってくるのだ。冒頭に挙げた『枕草子』には季節について書かれた内容があるのは前述のとおりだが、それらはどれも家の中から描かれたもので、旅行に行ったりしているものではない。どこかそのことに共感を覚え、また季節を感じるためには必ずしも出かけることが不可欠ではないことを教えてくれたような気がしたのである。部屋の隅で窓の外を眺めていても、世界の美しさを知ることはできるのではないだろうか。そんなことを思い、この感情を何かにして残したいと思ったのである。


今日の一曲

乃木坂46「孤独な青空」2016年

同グループの16枚目シングル『サヨナラの意味』のカップリング曲だ。普通に良い日々に不満はないけれど、でもどこかで物語を求めている。たとえそれがハッピーエンドでなくても。そんなことを歌ってくれている曲で、私が最も好きな曲の一つだ。人生が壮大な物語で自分が主人公なら、不幸な物語でないことよりも平凡な物語でないことを願いたい。よく考えたら普通でいるのが嫌で色々やってきたらこんな自分が出来上がっていたんだと今になって思う。ああ、なんだか少し焦りを感じてきた。ちょっと世界でも変えてこようかな。

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