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KIKIAU KOTONO ENERUGII # 41

       不登校、息子の場合


息子は、夏休みを境に不登校になりました。
しかし、数日家にいただけで
フリースクールの存在を知ると
直ぐに、見学へ行き
そして、即決したのでした。

小学校3年生から、JRに乗り継ぎをして
片道30分の通学が始まりました。

フリースクールでは
ヨット体験、楽器演奏、ラジオ収録、40キロ強歩大会
調理実習、他のフリースクールとの交流会など
活発に参加していました。

しかし、夜になると夢遊病が起き
泣いたり、話し始めたり、家中を歩いたりしていました。
本人は全く覚えていませんが、見てる方は気が気ではありませんでした。

フリースクールは小学校卒業と同時に一旦終了しました。
本人の希望で、地域の中学校に通い始めました。
が、1学期終了を境に体調が悪くなって通えなくなりました。

この頃は、フリースクールにも通う気持ちも起きず
中学2年生に進級するまで、自宅で過ごしていました。
外出したいけれど、日中に子どもがウロウロしていると
可笑しい目で見られるから嫌だと言って
外出もしませんでした。

この、何もせずに家にいたこの時期が
私としては非常にきつかったです。
息子の顔が、どんどん曇って見えて
何かしなければと、私自身の不安な気持ちに
焦りが生じていました。

よくよく考えると
行動しながら、考える時もあれば
立ち止まって、考えることも大切なんだと
分かりますが、自分の子どもの事になると
冷静な気持ちではいられませんでした。

私は彼を失ってしまうのではないか
そんな恐怖があったのだと思います。
支えようとしている私の方が、息詰まってしまい
彼のことを重荷に感じていることに気が付きました。
そこで、息抜きも兼ねて仕事をすることに
したのでした。

一歩外に出ると、空気が胸いっぱいに入ってくるのが
分かりました。
仕事をしているときには、仕事以外考えていない自分がいました。
週に2日の仕事でしたが、やり甲斐も感じ
私という人間を思い出させてくれました。

親としての自分は無力感を感じている母親でしたが
職場で看護師としての自分は、成長を感じ、喜びを感じ
心が満たされた感じがしました。

それで気がついたんです。
場によって人はこんなに変わるんだということを。
息子にとって、心が満たされる場があるんじゃないか
そんなことを閃いたのでした。

息子は小学3年生からスノーボードをやっていました。
「雪の中にいる時には、僕は生きてる感じがする」
そう言っていたことを思い出しました。
そこで、スノーボードを応援しよう、そう思い付いたのです。

スキー場までの送り迎えを申し出ました。
すると、初めは浮かない返事でした。
「学校へ行けない自分が、親に迷惑をかけてまで
そんなことをやっていいのか」と言っていました。

私は、確信がありました。
今の息子には学校ではなく、命が喜ぶことをすることが
何よりも必要なことを。
「お母さんは、学校に行かないことを迷惑だとは
思っていないよ」
「あなたが、苦しんでいるのを見るのが心配なだけ」
そう言うことができました。

「生きている感じがする、それは人として
とても大切なことだと思うよ、不登校でも
思いっきり、楽しんでいいんだよ」
この言葉に、息子の心が動きました。

息子の命が喜ぶことを応援する私の方も
とてもやり甲斐を感じました。
息子は体調不良は無くならないものの
元気を取り戻しつつありました。

「お母さん、僕スノーボードのインストラクターに
なろうと思う」そう笑顔で言ってきたのです。
「うん、がんばってね、応援するから」
その言葉が聞けて、私は本当に嬉しかったです。

スノーボードの場では、彼はとても自信に溢れていました。
全てを自主的に考え、行動していました。
生き生きした姿を見ることができました。

ある日、そんな彼から
「お母さん、病院に連れて行ってくれる?」
と言われたのは中学2年生の夏頃のことでした。
私は、すぐさま了解したのでした。
彼の中で何かが起こっているように感じました。
そこから私たちの病院巡りが始まるのでした。




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