「遠い水平線」と私の水平線

関与と観察からの須賀敦子からの遠い水平線。

読み終わって、不思議な体験をもっと「してみよう」と思った。
普通、不思議な体験は「した」という過去形に連なる受動的なものであるはずなので、意志、試みとして「してみよう」なんておかしいのだけど、
そう思わせる本だった。

水平線(境界)について
読み終わって何日もしてから、そういえば、私はもう何年も境界について悩みぬいてきたよねぇと思い出した。これまで、色々な境界を交差する事に固執するかの様に生きてきて、やればやるほど、境界を(見つけなくて良い所にも)見つけてしまう、いちいち定義づけてしまう様になった。

もう9年くらい前かなあ、、
その時は、境界は私にとって「越えられないもの」として厳然と存在するものだった。その頃、瀬戸内に行く事が多く、呉鎮の重い鉄の塊が港に並ぶイメージを取り込んで、こんな風に思っていた。

出航する大きな船を、岸から口惜しく見つめてみるけれども
船からもまた陸を悲しく見つめているのかもしれない


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