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インド夜想曲

どうだろう、私インド行った事ないから、インドこんな感じなのかどうか解らない。自分の中で、テレビとかで見たインド像が断片的に呼び出されるけど、なんか違うかなと思って、最後まで像を結ばなかった。

そのかわり、何年も前の高松の夜の事を思い出した。
深夜にコンビニに入り、その時間帯らしい少しの治安の悪さに緊張感を覚えながら買い物を済ませ、店を出て横断歩道を渡っていた時、
「このまま消えてしまいそう」
とふいに思ったのだ。

このまま、歩いてる途中に、消えてしまいそう、自分でも気付かないうちに、最初からいなかったように、私は一体誰なのか、きっと誰でもないだろうから。

とても、個という概念が感覚的に揺らいだ体験で、それは単に、仕事終わりの解放感と見知らぬ土地での緊張感、したことのない経験をした達成感や新鮮味と自信が入り混じった疲労が起こしたバグ的感覚で、些細な体験なはずだった。

なのに、そういう感覚を得たという事実は消す事は出来ず今に至っている。

その揺らぎは、生きるにあたり行う全ての努力や問いと信念を無力化するに違いなくて、これ以上書けば、これを読んだ人が傷つくだろうと思うからこの話はやめにするべきなんだろう。
それでも書き添えておきたいのは、なんかの希望を発見する予感もあって、それは個に縛られ削り合う現代の様子と無関係ではないという事。


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