相手を尊重するのと同じくらい、自分を尊重する。
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月刊マガジン「京都くらしの編集室」では、つれづれなるままにこんな気付きを書いています…というので、今日は記事を8割ほど公開してみます!
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最近、幡野広志さんの著書を立て続けに読んで、感銘を受けている。
「何で僕に聞くんだろう」は、いろんな人からの悩みに答えているもので、私だったら永遠に答えなど出そうにない悩みに、辛口だったり優しかったり、そういう考え方があったのかという切り口で答えている。
自殺したい人のことも否定しない。普通は、どうやったら自殺を思いとどまってくれるのか、そこに頭を悩ませるのだろうけど、幡野さんは相談者の自殺したい気持ちを受け入れる。
すごいなぁ…とうなり続けながら本を読み終えた。
ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。
これは、毒親について書いてあると紹介してあり、即購入した。
ここにあったのは、親は選べなかったけど、配偶者は選べるということ。それがタイトルになっている。親は選べなかった。でも配偶者は選べる。
家族とは自分で選ぶもの。
この一文にハッとした。自分で選択すればいいのだと。
もし改善の余地のない関係だったとしたら、たとえ親子であっても、その関係を断ち切って構わないのだ。
親がろくでもないわが子に見切りをつけることは正しいこととして語られる。一方、子がろくでもない親を切ることは親不孝だとされてしまう。
多くの子どもは親を甘やかしすぎている。親不孝をしないためにー親を悲しませないためにー自分が不幸になっているようでは、誰のために、誰の人生を生きているのか、まったくわからない。
優先順位を間違ってはいけない。ぼくらはみんな自分の人生を生きるために生まれてきたのだ。
幡野さんはカウンセラーか、悟りを開いている人かのよう。
それで2冊通して読んでみて感じたのが、幡野さんは相手のことをとても尊重しているのだなということ。
そして、それと同じくらい自分のこともきちんと尊重している。
自分がどうしたいのかきちんと分かって、自分が納得のいくようにするにはどうすべきかを考えている。それと同じくらい、目の前の人のことも考えている。お互いの意見が違ったら、違う中で、最適解を見つけようとする。その姿勢。
わたしに足りないのは、尊重なのかもしれないな。
相手を尊重する気持ち。自分を尊重する気持ち。
「こんなとき幡野さんならどう考えるかな?」と思うと、すこし客観的に物事を捉えられるような気がして、最近悩んだら、そうしている。
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