生きる意味
人は必ず死ぬ。空しい。なぜ生きる。まただ。こいつが頭の中でぐるぐる回る。
こんなときこそ、人間脳の出番なんだろうな。早速使ってみることにするか。
人生にはタイムリミットがある。その中で魂を鍛える。経験則は役には立つが、常に正しい訳じゃない。場にそぐわず、却って邪魔になることだってある。だから、魂に正しいものを刻み込む必要がある。鍛え、磨く必要があると思う。いついかなる時も正しくある様に。だから、タイムリミットと共に経験則を捨て去る。一生の中で磨かれた魂を核として、次の人生を歩む。きっとそうやって人は段々と成長して行く気がする。
せっかく得た経験を死によって失いたくない気はしないでもないが、経験則には柔軟性を欠く危険性がある。鍛えられた魂の方が柔軟かつ的確に動くことができるだろう。世の中には、本当に的確に行動する人がいる。きっと魂を鍛えた人なんだ。そう考えれば、天才を羨むなんていかに的外れかが想像できる。言い換えれば、誰だって天才になれる可能性があるのだ!
それにもし経験(前世の記憶)が残っていたら、また初めから人生をやり直すことを意識しながら生きるなんて考えたら、人生は重過ぎる。それも捨てる理由の様な気がする。
自分はここまで魂を鍛え磨くことができただろうか。まあ、それなりにできたと思う。ここは卑下しない。堂々とする。これこそが大切なんだと実感している。限りある人生の意味はこれだ! そりゃあ不安だ。先が見えないんだから。だが、よくよく振り返ってみればぼんやりとでも道筋が見えて来た気がする。そこにもっと光を当てよう。
人生 前向きになるためには一度底まで落ちる必要があるのかもしれない。ある時期においては、綺麗事よりも毒を吐き出すことが必要な気がする。つらい時にいきなり前向きな光の様な言葉を投げかけられても眩し過ぎて受け止めるなんてできっこない。だからとことんマイナスに潜る。しかし!こいつには危険が伴う。麻薬の様に魅入られてしまうからだ。目的化しかねないからだ。ここで問わなければならない。目的は何なのか そいつは目指すに値するのか と。
一人で這い上がる人もいるかもしれないが、そんなのは稀だ。どん底の時に誰かが寄り添ってくれるかどうかはとっても重要だ。誰もが堕ちかねないし、誰もが手を差し伸べる側に回るかもしれない。そして、もがき尽くした後、人は不死鳥の如く舞い上がることができるのだ。
おお! 少しだけ霊的に明るくなったぞ!
ここまで書いたことは、きっと誰かがとっくに気づいているし、いろんな本にも書いてあるだろう。でも、結局は体験してみなくては分からないんだ。本を読んだだけでは悟りになんか至れないんだ。だからこそ共育は必要なんだ。今日、それを実感した。
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