見出し画像

”黒岳石室と僕たちを巡る話” 第2話 石室を建てた人

黒岳石室Q&A2

前回の第1話でもチラッと登場していましたが、黒岳石室を建設したのは「北海道山岳会」とされています。実はこの北海道山岳会は北海道で最初に誕生した”山岳会”とも言われてます。黒岳石室を建設した北海道山岳会とはどのような山岳会だったのでしょうか?今回はこの北海道山岳会にまつわるお話しです。

山岳は自然の王なり

北海道山岳会は1923(大正12)年1月25日に誕生しました。しかし、ここで注意が必要なのは”山岳会”と言っても現在想像されるような”登山する人たちの集まり”ではなく、どちらかというと山岳観光の振興を目的とした”観光協会”のような役割も担った組織でした。

ちなみに、北海道で北海道山岳会の次に設立された山岳会は富良野山岳会です。現在の一般的な山岳会のイメージでいうと、富良野山岳会が北海道で一番最初に誕生した山岳会と言えます。

北海道山岳会は官製山岳会とも言われることがあります。というのも、北海道山岳会の総裁は当時の北海道庁長官、会長は土木部長が努めていたり、本部は北海道庁内に置かれていたりと、北海道庁の支援のもとで組織された山岳会だったからです。

当時は「山岳は自然の王なり」という標語を掲げて、道内各地に支部を設置。各地で登山道の整備や石室の建設、登山会やスキー大会の開催などが行われました。当時はまだ登山という行為自体が大衆化されていない時代でしたが、登山を通して北海道の観光を盛り上げていこうという気概が伺えます。

石室建設

さて、黒岳石室を建設した北海道山岳会ですが、建設したのは黒岳だけではありませんでした。旭岳の姿見の池と雌阿寒岳にも石室を建設しました。現在姿見の池にある避難小屋はすでに建て替えられていて当時のものではありません。また、雌阿寒岳石室も現在はすでに無くなっています。

『北海道の登山史探究』(高澤光雄)には次のように書かれています。

二月五日、道庁土木部長室で田中館秀三、林常夫、木下三四彦ら二十名の幹事で協議会を開催。今年度の予算処置として石室設備に旭岳、黒岳に各二〇〇〇円、駒ヶ岳、雌阿寒岳に各五〇〇円を計上。

『北海道の登山史探究』(高澤光雄)

ここには駒ヶ岳にも石室建築費として予算が計上されていたように書かれていますが、駒ヶ岳に石室が建てられたという記録は見つけられませんでした。そもそも建てられなかったのか、記録が残っていないだけなのか?どちらか分かりませんが、もし知っている方がいたらコメント下さい。

登山道開削

北海道山岳会は山岳観光振興のために登山道の開削も行いました。黒岳から北鎮岳経由で旭岳までの登山道の開削したのも北海道山岳でした。だから、登山道開削も同じ100周年と言われているわけですね。

大雪山以外にも、雌阿寒岳、羊蹄山、恵庭岳など7箇所の登山道の開削(または改修)を行ったそうです。羊蹄山に関しては現在4つの登山道がありますが、”羊蹄山頂より留守都に至る二里”(『北海道の登山史探究』)とあるので、喜茂別コースでしょうか。雌阿寒岳は現在一番利用される雌阿寒コースではなく阿寒湖からのコースだったようで、石室のその道中に建てられていたようです。とはいえ、あまり詳細な記録はなく、どこでどのような登山道を開削したはあまりよく分かりません。

登山会開催

北海道山岳会は釧路、旭川、室蘭、後志、上川、宗谷、札幌、十勝、渡島、網走と各地に支部を設置し、各地で登山会を開催していたそうです。

例えば大雪山に関して見ると、上川支部が1923(大正12)年8月に設置され、それを記念し8月18日から21日にかけて「設立記念大雪山登山会」が開催されました。成田嘉助という人が案内人となって、なんと層雲峡から松山温泉(今の天人峡)を縦走するコースで47名も参加。記念登山会というにはかなり本格的なものだったようです。

ちなみに、ここで登場した成田嘉助という人物も大雪山や黒岳の歴史を語る上では欠かせない人物なので、いつか紹介できたらと思います。

北海道景勝地協会

このように大正から北海道の登山の発展に寄与してきた北海道山岳会ですが、1935(昭和10)年11月に解散しその幕を閉じました。北海道山岳会が主催してきたスキー大会は札幌スキー連盟に、その他の事業は北海道庁の拓殖部内に設立(1933年)された「北海道景勝地協会」に引き継がれました。

黒岳石室を建てた人

今回のタイトルは「黒岳石室を建てた人」です。ここまで見てきたように建てたのは北海道山岳会でした。とはいえ、まさか北海道山岳会の会長や支部長が、木材を荷上げして石室を建設したわけではないでしょう。お金を用意して計画したのは北海道山岳会だったかもしれませんが、実際に石室を”建てた人”はおそく地元の人夫や強力と言われる人たちだったのではないでしょうか。

石室と言っても柱や屋根の部材は必要となります。当然ロープウェーもない時代です。それらの資材を一合目から荷上げをし、石材を集め加工し、石室を作り上げる職人たちがいたはずです。残念ながらそのような人たちは記録として残ることはほとんどありません。

一合目から荷上げするのはどれほどの苦労だったのか?石材はどこから運んできたのか?建設にはどれくらい日数がかかったのか?その間どうやって寝泊まりしていたのか?そんな事を想像しながら、黒岳に登って石室を眺めてみると、いつもと違う登山になるのではないでしょうか。

桂月岳方面から石室を眺める。石材はどこから持ってきたのだろうか?

ということで、今回は北海道山岳会の紹介でした。また、次回をお楽しみに!


▼ 第3話 ▼


参考文献

安田治『北海道の登山史』北海道新聞社
高澤光雄『北海道の登山史探求』北海道出版企画センター
吉田友好『出典準拠[増補]中央高知登山詳述年表稿』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?