マガジンのカバー画像

プロデューサーはペテン師か?

329
九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
運営しているクリエイター

#田舎暮らし

鶴の恩返し。 2020.7.25

デスクワークは一人でしたいタイプだ。ごく短期間、オフィスと呼ばれる空間に身を置いたことはある。しかし、リラックスができない。衆人環視という状態もそうだし、好き勝手に行動ができない事態に言い知れぬ圧迫感を覚える。本気の集中ができないのは辛い。 基本、他人様に仕事しているところを見られたくない。仕事モードになったとき、それはいかに没頭し、研ぎ澄まし、一心不乱になれるかに掛かっていると思っている。きっと、僕自身は、あらぬ虚空を見つめたり、呆然としたり、独り言を吐いたりと、まったく

仕事の仕方1。 2020.7.5

これはずっと考えてきた。今も考えている。答が見つからないと言うより、ひとつの答に辿り着くうちに違う風景が見え始め、さらに先の答を欲してしまう感じ。自分で働いている実感が伴ったのは、30歳直前でコピーライターになってからだ。その約1年後には独立する。 成り行きでのフリーランスだったが、事務所には、電話とFAXが各一台あるのみ。当時は福岡市郊外に住んでいて、自動的にそこがオフィスにもなった。コピーライターの仕事は、特にオフィススペースは要らない身軽な生業。以来、職住はずっと同一

雲海慕情。 2019.10.28

日田盆地に暮らして7年目。雲海に目覚めた。去年だったか、ふと思い立って、雲海が見えるポイントを探し始めた。というのも、日田では良く霧が発生し、底霧と呼ばれて馴染みがあるのだが、それって、山上から眺めたら雲海じゃないかと気づいたのがきっかけ。 それまで隣町の玖珠盆地で、見事な雲海が現れることを先輩から聞かされていて、いつか拝んでみたいと思っていたのだが、いや待てよ、同じ盆地ならこの日田でも同じことが起こっているはずと考えた。果たして、目星を付けた数ヵ所にリサーチを掛けたら、あ

山上の夜宴。 2019.8.26

僕は2年ぶりの参加だった。この山上の宴は、男池散策と並ぶ、ここのえ低山部の主軸の行事になってきた。翌朝、近所の山に登るのが唯一の低山部らしい活動だが、主役は飲食とお喋り。F隊員が営む標高800mにある旅館叶館の、美しく手入れされた庭が宴会場だ。 当初は、F隊員が料理を担ったが、それでは本人が楽しめないと、料理人を立てるようになった。イタリアン、フレンチと来て、今年は和食。とても幸運なことに、料理人たちが来たがってくれる。一方の主役として、後半はお喋りの輪に入るのも楽しいらし

職漁師誕生。 2019.8.5

ずっと釣りが本業とうそぶいてきた。ヤマメのフライフィッシングは今季が39年目。鮎の友釣りは、今季が13年目。一生幸せになりたければ釣りを覚えろと喝破した中国の古諺を引き合いに出すまでもなく、釣りを知らない人よりはきっと幸福なんだろうと思っている。 ただ、永年大赤字なので、バイトでプロデュースをしているともふざけてきた。もう漁師ですね、なんてくすぐられると、隙だらけの笑顔を振りまいていた。僕には鮎釣りの師匠がいるが、彼らの周辺は釣った鮎を活かしたまま、日田の料理屋や旅館に卸し

梅雨に籠もる。 2019.7.11

五月の陽光が熱を強めて行き、初夏の陽射しが勢力を高める頃、出鼻をくじく梅雨が訪れる。ヤマメ釣りを存分に楽しんでのち、夏最大のエンターテイメント、鮎の友釣りが5月下旬に解禁になる。満を持して、長竿を担ぎ、流れに立ち込み始めると、嗚呼入梅の知らせ。 降り続く強く大量の雨で、川は一気にカフェオレ色の奔流となり、釣りも何も、川に近づけなくなる。まさに去年の今ごろは、日田や隣接する福岡県朝倉エリアは、悲惨な水害が全国ニュースとなっていた。折しも、その降り始めの日、僕は渦中の川に鮎釣り

そこは大原山。 2019.6.24

毎日のことなので、礼拝することもなく本殿の前を通り過ぎる。掃除のおじさんと目が合えば、朝の挨拶を交わす。他に人がいることは希だ。今なら、ビーサンで石畳や砂利を踏みしめながら境内を抜ける。ここ大原八幡宮が建つ場所は、小高い山の上。本殿の裏を1本の車道が横切っており、ここが僕の散歩道であり、ジョギングコースでもある。日常の道。 神社の東側には、小さな山寺がある。その横にも細い山道のような参道があって、ジョグの時はここを上がってスタート地点に向かうことにしている。ある日、その道沿

真夏の耽溺。

鮎釣りを始めたのは、次男が生まれた翌年だからもう13年目になる。それまで、春から秋まで、ヤマメのフライフィッシングに現を抜かしていたが、渓流で鮎釣り名人に出会ったのが運の尽き。まったくタイプの異なるこの釣りのいろはを習って、瞬く間に没入した。 岩に付いた苔しか食べない鮎を鉤に掛ける発想は、何度思い返しても驚愕のアイデアだ。縄張りを持ち、そこへ入る鮎を攻撃する習性を巧みに利用し、鉤をまとった囮鮎を泳がせて、アタックした野鮎を釣り上げる。それを友釣りと言う。騙しておいて友とは笑

詩情の喪失。

限られた人生、できるだけたくさんの感動を重ねて過ごしたいと常々思っている。自然、美術、文学、音楽、スポーツ、さまざまなジャンルで、数多くの感動を貰う。根が感激屋だからか、毎日のように大小の感動に満たされているような気がする。この不思議な情動。 先頃、AIに関する書物を読んでいるとき、ふと思った。AIを成り立たせるのは、際立った進化をした多様なセンサー群だ。そこから、高精度の分析・演算が行われて、人間の能力を遙かに超えた速度密度で結果が出る。一方、僕らが前述のような感動をする

森でケーキを。

5月某日。今年も男池へ行った。今回は、幽霊会員になりかけていたここのえ低山部の部活として。勾配もほとんど無く、登山と言うより、森のハイキングの趣。「標高と志が低い」低山部のコンセプトにピッタリの場所。平日の昼前、行きつけの蕎麦屋に集まった。 本当のことを言うと、僕は時間を勘違いして、大遅刻の末に合流したんだけれど、蕎麦を後回しにして、みんなと森へ急いだ。今日はメンバーのパン屋から、イチゴのロールケーキの差し入れがある。この運搬には掟があって、ボックスごと運ばなければならず、

一日の終わりに。 2019.4.14

オンとオフの僕なりの解釈については、少し前に書いた。僕の時間の使い方は、決して一般的ではない。カレンダーは見てはいるが、ことオフの取り方に至ってはもう好き勝手。世間の都合とは関係なく仕事をする反面、自由気ままに仕事を切り上げることは日常茶飯事。 早朝からデスクに向かうので、外出がなければ、午後遅くにはとっくに終業時間を迎える。と言っても、その概念すらないのだが、それはともかく。ヤマメ解禁後の今の季節なら、エサとなる水生昆虫たちの羽化が集中する夕方は釣りには絶好の時間。一通り

桜花幽玄。 2019.4.8

桜は、なにかフェロモンのような物質を出しているに違いない。でなければ、たかが花ごときに、あんなにソワソワ、ドキドキするはずがない。花咲か爺さんよろしく、枯れ木のような枝々から、薄桃色の花びらが湧き出してくる。唐突に出現する春模様が胸に迫る。 咲き始めると次々に花を増やし、一本の木が花だけで染められる。樹種にもよるが、葉が出る前に花だけがこれほど豪華に全体を覆うのは、桜が突出しているのではないか。梅も木蓮もあるが、桜は満開のボリューム感が特別だ。しかも、その花はたちまち散り始

菜の花パスタ。 2019.4.3

ほぼ2年半の逆単身赴任で、普通に自炊をしていたのだが、生来の凝り性なのでついつい工夫を思いついてしまい、止められなくなることがある。もっとも、そもそも時間もないので、もっぱら簡単で美味しく、後片付けも楽なことが最重要課題。するとそれはそれで。 買い物もできれば回数を減らしたいので、進化したレトルトやインスタントもやむなしと覚悟を決めていた当初、それでもちょっとした手間で、美味しくなったりするとまたあれこれ考えてしまうのである。そんな中、パスタは大好物なのに、なぜか手を出さな

相棒の一足。 2019.3.28

いつ手に入れたか定かじゃない。10年はとっくに越えているはずだ。最初、アウトドア雑誌で見かけて興味を持った。それは使い古したよれよれの一品で、ソールの張り替えで甦る下りがあり、そのへたり具合がなんとも味があって、我が物としたくなった記憶がある。 茶皮とオリーブのスタンダードも良かったが、街でも履きたくて黒にした。以来、散歩に仕事に釣りにトレッキングに重宝している。数年前のNYも、冬だったこともありこれでマンハッタンを歩き通した。ビブラムの底はだいぶすり減ってきたが、まだまだ