マガジンのカバー画像

プロデューサーはペテン師か?

329
九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。htt…
運営しているクリエイター

#日記

秋よ春よ。 2019.10.15

鮎釣りが終盤を迎え、川の色は澄み始め、川面を滑る風はいつしか涼風に変わる。朝晩は、めっきり気温を下げて、日課の朝の散歩は、半袖から出た腕やビーサンの素足が冷たく感じ始める頃。そんなとき現れる大好きな花がある。金平糖を散らしたようなミゾソバだ。 赤に近い紫と白で構成される花は、紡錘状の蕾の固まりがすでに花の趣があるが、そのひとつひとつがまた開花するのである。文字通り溝のような場所に群落を成し、黄緑の葉と茎の上に多くの花が付く。茎が長いので、秋風に揺れるリズムはゆっくりに見える

川よ、さらば。 2019.10.9

春のヤマメ釣りに始まった川通いは、鮎の納竿を持ってその幕を閉じる。3月から数えて7ヵ月強。毎年、半年以上に亘って、川を想い、川に遊び、魚と戯れる。しかし、いざオフになったら、きれいさっぱり川から釣りから遠ざかる。このパターンをもう40年続けている。 大学の授業も、このオフに詰め込んだというのが真相だ。物わかりのいいM教授に感謝したい。ヤマメのフライフィッシングは、20代前半から始めたが、鮎の友釣りはまだ13年を終えたところだ。次男が生まれたその夏に始めた。以後、3月から5月

ドジを踏む。 2019.10.3

クールという風評がある。関西だとシュッとしてると言われたり。もちろんまったくの誤解なんだが、なぜかそんな風に見られがちだ。ところが現実は、ドジを踏むこと多々。最近も、公共交通の乗り遅れを中心に、間抜けな失敗を度々繰り返している。ったくもう。 今年に入って、飛行機3回、新幹線も3回乗り遅れた。信じられない失態だが、原因はどれも時間の勘違い。空港の場合、元々無為に待つのが嫌で、いつもギリギリに保安検査場を通過することにしていたのが仇となった。航空会社に振り分けて貰ったのに、時間

ジョグ5年目。 2019.9.14

どっこい、いまも走っている。ついに5年目に入った。自分自身が一番続くとは思っていなかったかも知れない。春から秋は、本業の釣りもあるので、週2〜3回。オフシーズンは、週3〜4回。距離は徐々に伸びて、近頃は5〜6km。こうなりゃ、次は10km目標と行くか。 何度も言っているが、走るのは大嫌いだった。部活の練習などで、イヤイヤ走ってはいたけれど、山登りと同様、苦痛ばかりが目立って、ちっとも楽しくないのである。それが5年前のある日、仕事で当時福岡大学の教授で、スロージョギングを提唱

熊本川辺川。 2019.9.8

名前はもちろん知っていた。伊達に釣り人はやっていない。球磨川の上流部、鮎で著名だが、釣り仲間たちからは本流でヤマメのライズがあると聞いていた。もっとも、基本遠征をしないので、他人事のように眺めていただけだった。それが突然我が事になりそうな展開。 熊本県相良村は、その川辺川が貫流するロケーションにある。川同様、村の名前は知っていた。その村から、ブランディングのご相談。仕事のキャパ的には限界に近づいているが、とてもむべにお断りする気にはなれなかった。取り敢えず、数度のSkype

麺が長すぎ。 2019.9.2

日常の何気ない小事が、生活を根本から変えるきっかけになる。一方、特段大事には至らないために、見過ごされ、繰り返される小さな障害がある。大きな満足を追い求めつつも、ちょっとしたつまずきを無くす工夫が、意外や意外、こころの安寧をもたらしてくれる。 普段の幸福って、満足と不満のバランスシートでできていると思うのは、僕だけではないだろう。なにも大袈裟なものじゃなく、ホントにちょっとしたこと。例えば、うどんの麺の長さ。温うどんでは気づかないが、ツユに浸けるおろしうどんなどで発覚する長

山上の夜宴。 2019.8.26

僕は2年ぶりの参加だった。この山上の宴は、男池散策と並ぶ、ここのえ低山部の主軸の行事になってきた。翌朝、近所の山に登るのが唯一の低山部らしい活動だが、主役は飲食とお喋り。F隊員が営む標高800mにある旅館叶館の、美しく手入れされた庭が宴会場だ。 当初は、F隊員が料理を担ったが、それでは本人が楽しめないと、料理人を立てるようになった。イタリアン、フレンチと来て、今年は和食。とても幸運なことに、料理人たちが来たがってくれる。一方の主役として、後半はお喋りの輪に入るのも楽しいらし

毒を盛るように。 2019.8.19

プロデュースは説得業だと言うことがある。新たなアイデアが出て、それを構想に膨らませようとするとき、関わる人が増えていくわけだが、共感が必ずしもスムースに広がらない局面が生まれてくる。理解の不足なら再度の説明を施し、感情のもつれなら飴と鞭を考える。 ここを越えれば、状況は一気に前に転がり始めるわけだが、それだけに慎重を期しつつも、えいやっと切り込んで行く瞬間でもある。この緊張と集中のコミュニケーションは、独特の空気感を纏っていて、最もプロデュースの仕事をしている気分になるとき

忙殺の理由。 2019.8.12

僕らは、いまや週休2日が当たり前になり、労働から解放されているように言われているが、本当にそうだろうか?世間を眺むるに、仕事にまつわる作業って、どんどん増えているように思えるのだけれど。50年前に比べ、果たして僕らは自由を手に入れているか。 間違いのないように、あるいは仕事をした証として、膨大な資料が作られる。公共事業に至っては、山脈のような報告書の話を側聞することがある。えっと、こんな感じで、はいはいではそれで。なんて応酬はあり得ないらしい。いいじゃん、期待する結果が出れ

習いと学び。 2019.7.29

他人様に教えるなんて、消え入りたいくらいおこがましい心持ちになる。まずこれが前提。でも、振り返って見ると、曲学阿世の身ながら、あっちで喋り、こっちで話し、教師としての仕事がとても増えている。そんな中で想うことがある。突出した人材は育てられるか? こんな人材がこんな才能がもっといればと、世には教育によって計画的に望む人材を育成しようとする傾向がある。こうした情動は、古今東西繰り返し現れる。でもどうだろう?一定のプログラムを履修したら、自動的に画期的人材がそこに立ち現れるなら最

常識を脱ぐ。 2019.7.23

常識に囚われてはいけない、などと言う。一方で、そんなの常識でしょ?とも言われることもある。常識から本気で自由になると不自由なことも多々。常識とは、生きていく上で覚えておくべき社会的なルールや作法でいながら、その中に住むと不便で退屈なことがある。 学生たちには、常識の手前にいるのは非常識に過ぎず、そこを超える超常識であれと言っている。知った上で、無視する柔軟さと強さがあるか否か。プロデュース業でなくとも、仕事の多くは課題解決がその本質だが、普通の生活を行うために必要な常識が、

梅雨に籠もる。 2019.7.11

五月の陽光が熱を強めて行き、初夏の陽射しが勢力を高める頃、出鼻をくじく梅雨が訪れる。ヤマメ釣りを存分に楽しんでのち、夏最大のエンターテイメント、鮎の友釣りが5月下旬に解禁になる。満を持して、長竿を担ぎ、流れに立ち込み始めると、嗚呼入梅の知らせ。 降り続く強く大量の雨で、川は一気にカフェオレ色の奔流となり、釣りも何も、川に近づけなくなる。まさに去年の今ごろは、日田や隣接する福岡県朝倉エリアは、悲惨な水害が全国ニュースとなっていた。折しも、その降り始めの日、僕は渦中の川に鮎釣り

誰が言う? 2019.7.5

粋に生きたい。野暮はご免被りたい。遊びでも仕事でもそれは変わらない。仕事なら誰も解けない難問を鮮やかに解決したいと思う。でもそれは、願っているだけで実現するわけではない。そびえる壁をいかに超えるか。横たわる谷をどう渡るか。猫に鈴、火中の栗。 仕事では、たくさんの会議や打合せを行う。計画やイメージを共有するのは当然だが、試されるのは必ず訪れる難局打開の仕方。そしてその多くは、人が絡んでいるので、現場には感情と欲望が混ざった渦が巻いている。保守、誤解、拒絶、保身、嫉妬、悪意など

希望の中身。

プロ向けのある講座で、ヒアリングのタイトルを「話は半分しか聞かない」としたことがある。クライアントの言い分は全部聞かなくていいとの偏向的誤解があったかも知れないが、殊の外反応が良かった。そのココロは、聞こえる話って、おそらく半分くらいという考察。 クライアントの希望に応えることが、確かに仕事の本質ではある。そこは間違いないのだが、問題は希望の中身だ。言葉面をそのまま受け取ることに疑念を持たないケースが多過ぎるんじゃないか。それは現状の課題解決であったり、欲しい未来のカタチで