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シュワルツェネッガーによろしく

 どうして猫田はハーレーダビッドソンに乗るのか。クセの強いバイクですし、お世辞にも乗りやすいとは言えません。そもそもこのご時世、何故バイクなんぞに手を出そうと思ったのか。その理由を紐解けば、資本主義に踊らされる1人の男の姿が浮き彫りになります。

 ここで突然ですが、皆様は映画「ターミネーター2」をご存じでしょうか。どうしようもなく端的に内容を言ってしまえば、ハーレーにまたがった筋肉モリモリマッチョマンことシュワルツェネッガーが美少年を守るためド派手に銃を撃ちまくるというお話。この名作を私が初めて鑑賞したのは小学生の時、金曜ロードショーか何かでした。男心をくすぐって止まない展開に激しく心を打たれると同時に、唸るハーレーへの漠然とした憧れを抱いたのもこの時。

 その後、ターミネーターとは無関係に男臭いアメリカンカルチャーにずぶずぶと夢中だった青春時代。そうしたカルチャーとハーレーの存在は密接であり、常にその影が視界にちらついていました。そこはかとなく漂うアウトローな香りに、他のバイクには無い独自のスタイル。その魅力は私を捕らえて放しませんでした。

 いつか自分も乗ってやるのだと鼻息を荒くしていた青き私。いつの間に大人になってしまいましたが、先日やっと念願叶いました。荒ぶるエンジンにこの上ない疾走感は憧れていた通り。遂に我が物にしたりと喜びに満ち溢れる一方、これまで見て見ぬふりをしていた現実に直面することになります。

 とにかくうるっさい、重い(256kg)、維持費が高い。積載能力はほぼ皆無な上に、真夏と真冬に乗ろうものなら地獄を見る。挙句、窃盗団のターゲットになりやすい。現代社会においてここまで非合理的な乗り物を他に知りません。車を買った方が遥かにマシです(猫田は車の運転ができません)。いやもう本当に、興味の無い方からすれば途方もなく理解不能。乗っている奴にはアホかと物申したくなるはず。私もそう思います。

 そんな問題児を納車してから半年。厳しい現実をまざまざと見せつけられる日々ですが、買ったことを後悔していませんし、今のところ手放す気もありません。跨ってしまえば、そんな見たくもない現実は雲散霧消してしまうのです。

 100年以上の長きに渡る歴史の中で築き上げられた「ハーレーダビッドソン」というブランド。それは単なるバイクメーカーという枠組みを超越しています。Appleやスターバックスと同じ。その品質だけでなく、ブランドが確立した唯一無二の世界観が人々を惹きつけ、映画やファッションといった大衆文化にも影響を与えてきました。その世界を真に賞味するには実際に所有し、乗らなくてはならない。ひとたび魅力されてしまえば、そんな原理主義的な論理に脳を破壊され、正常な思考を停止させます。そう、私はまんまと彼らのブランディングに踊らされているのです。

 ハーレーの世界はマリアナ海溝のように奥深く、私はまだまだ海面のスタートラインに立ったに過ぎません。カスタムや旧車といった領域に深く潜ってしまえば、二度と浮上することは叶わないでしょう。

 それに私はバイクが好きなわけではなく、ハーレーが好きなだけ。真のバイク愛好家からは鼻で笑われてしまいます(実際に教習所で教官にそんなことを言われました)。

 それでも跨ってエンジンを回せば、股下の重い鼓動と熱気が私を愛するカルチャーの世界へ誘います。その瞬間は何物にも代えがたい。そして脳裏に浮かぶシュワルツェネッガーのサングラス顔と分厚い胸筋。いつか彼に伝えたい。「この世界を教えてくれてありがとう」と。



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