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短編小説|あなたは変わらない
「ありがとうね」
おばあさんはそう言って、目の前でつり革につかまる私に何度も何度も頭を下げてくれる。電車で席を譲っただけなのに、あたり前のことをしただけなのに、大げさでちょっと恥ずかしい。
「あなたを見ていると娘を思い出すわ。よく似ているの」
こう言われた時って、なんて返すのが正解なのだろう。「ありがとうございます」は違う気がするし、「光栄です」は堅苦しいかな。言葉が出ないので、ここはそっと微笑んでおく。
「とてもかわいくて良い子だったのだけれど、あなたぐらいの年齢で事件に巻き込まれてしまってね」
急に話の内容が重くなってきた。初対面なのに。仕事で疲れ切った帰り道に聞きたい話ではなさそうだけれども、遮るのも悪いので耳を傾ける。
「あの時、娘が電車で席に座っていたら、あなたと同じようにお歳を召された女性に席を譲ってあげたそうなの。そしたらね、それを見ていた中年の男性が怒ったんですって。『俺たちの給料から盗んだ年金や保険料で暮らしているくせに座るんじゃない。現役世代が座るべきだ。立ってろ』って」
「後になって裁判で男性の供述を聞いたのだけれど、最初からそのつもりで、誰でもよかったそうなのね。女性を庇って娘が言い返したら、さらに怒った彼はカバンの中に持っていた包丁で娘を刺してしまったの。かわいそうに。怖かったでしょう」
「死んでしまいたいほどに悲しかったし、男性を殺してしまいたいほど憎んだわ。でもね、あの子らしいな、とも思ってね。こうしてやっと会えたけれど、あなたはやっぱり変わらない。ありがとう。ありがとうね」
おばあさんは私の手をとり、力強く握った。ぬくもりも冷たさも無い、ざらざらとした感触ばかりが手に染み込んでいく。乗客が私たちしかいない電車は、停まることなく暗闇を走り続けていた。
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