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マイ・ブロークン・マリコの感想を書くはずだった

好きな曲が主題歌に使われていると聞き、マイ・ブロークン・マリコという映画を先週観に行った。軽い気持ちで観に行ったのに、どういう訳だか今でも少し引きずっている。
気持ちを一旦クリアにさせたくて、映画の短い感想文を書くことにした。感想文と呼べるかも怪しい露悪的なセルフセラピー文章(※ネタバレあり)だから、苦手な人は今の内にしっかりと引き返してくれよな!!!

※設定の都合で有料表示になっていますが、最後まで無料で読めます!こんなん金払って読むもんじゃねーぞ。

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「クッッッッッッソめんどくせぇ」と思っている友達がいた。
高校時代の友人だった。死にたい死にたいとばかり口にするその子のことを、心からめんどくさいと思っていた。「死ねるもんなら死んでみろよ」とイライラしていたら、その内本当に死んでしまった。自殺した訳じゃない。でも、正直、生きようとしているようにも見えなかった。

マイ・ブロークン・マリコは、私にとっては完全に「死んだ友人との思い出回顧録」だった。上映中、私はあの子のことばかり考えていた。

私はあの子の、こちらの都合もおかまいなしに、愚痴や弱音を押し付けるところが嫌いだった。他は全然違うけれど、そこだけマリコによく似ていた。私とシィちゃんも全然違うけれど、多分2人とも、相手に頼られることで救われていた部分があった。辛い悲しい死にたいと喚けるほどに無防備な相手の近くにいることで、強情な私たちも少しほどけていられたのだろう。そういうところが嫌だったくせにね。

私は、シィちゃんがマリコの自殺に「私をおいて!なんで!!」と素直に荒ぶれることが、なんだか少し羨ましかった。相手の人生において、自分が重要人物であることをちっとも疑っていない姿が眩しかった。

私は悲しかったけど、そりゃ悲しかったし寂しかったし泣いたし痩せもしたけれど、まぁ、他にも色々悲しいことも楽しいことも大変なこともあったし、なんだかんだ、普通に時間は過ぎてしまった。高校時代、ほとんどあの子としか仲良くしていなかったのに。

ずいぶん私情を挟んでしまったもんだから、映画として観れていた気はあまりしない。
私はシィちゃんと一緒に旅をしている気分で、ああそれはわかるなぁとかこれは私とは違うなぁとか、そんなことを思いながらスクリーンを眺めていた。

激情のままに、怒って泣いて暴れられるシィちゃんは眩しい。私もあの時、面倒くさい理屈も具体性のない罪悪感もさておいて、何でどうしてと叫び散らかしてみても良かったのかもしれない。あなたにとって重要な他者だと思ってもらえなかったことが悲しかったと、ちゃんと素直に思えていたら良かったのに。

見終わってスッキリするとか、晴れやかな気持ちになるとか、そういうことはなかった。ただ私はこの映画を見ながら昔のことをつらつらと思い返して、ぐだぐだと考えながら劇場を出た。

スッキリさせてくれなかった!くそ映画だ!!!とか言いたいわけではなくて、むしろ美化したり泣かせに来たり、やたらと感情を煽ろうとしないこの映画の事を「優しい」と思った。さりげなーく近くにいて、何にも言わない感じが安心する。

シィちゃんの旅はシィちゃんの旅で私の思い出は私の思い出だし、そんな簡単にスッキリさせられても困るしね。To be continuity…の気持ちでやっていくしかねぇのだよ。

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あの日 あの空 拝めるのは あの日の僕らだけ
せいぜい 生き延びてくれ

生きのばし(The・ピーズ)

なーんかきれいにしたりエモ風にしたりして纏めるのも嫌だったので、映画主題歌を張って終わります!とりとめもない文章を読んでくれてありがとうございました、それでは!

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