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池田昌子さん

文筆家 哲学エッセイスト

哲学から解放された、自由な哲学エセイスト

哲学は「難しい」というイメージがある。

池田昌子さんは、哲学の専門用語を使わず、エッセイのように、人や社会の本質、つまり哲学的に語った文筆家と言えるだろう。

この「哲学エッセイ」に魅了され、多くの人々が愛読者になった。

2007年、46歳という若さで、池田昌子さんは癌でお亡くなりになった。最後まで原稿用紙とボールペンを手放すことはなかったらしい。多くの著書をこの世に残してくれた。

これらの著書には、池田昌子さんの「思い込みを捨てた、本質についての深い考察」について、日常の言葉で自由に語られている。

「哲学から解放された、自由な哲学エセイスト」
池田昌子さんには、そんな響きが似合うと思う。

日本は、平成バブル崩壊後、長きにわたり経済の停滞が続いている。それでも日本は世界の視座から見ても豊かだと思う。一方、(あくまで私見であるが)、こころの豊かさは貧しくなっているのではなかろうか。

孤立感によるものなのか。世の中への耐えがたい恨みによるものなのか。理解しがたい物騒な犯罪が増えた気がする。

もし、池田昌子さんが生きていてくれたなら、
もう少し違った世の中になっていたかもしれない。そんな思いが頭をよぎる時がある。

池田晶子さんのエッセイを一つご紹介し、本編の終わりとさせていただきたい。

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「時代が悪いと言うのなら」

 時代とは何か。ひとりひとりの人間の生きているそこ以外のどこに、時代とした漠とした何かが別にあるわけではない。時代が悪いと言うのなら、あなたが悪いのだ。何もかもすぐにそうして時代のせいにしようとするあなたのそういう考え方が、時代の諸悪のモトなのだ。なぜ自分の孤独を見つめようとしないのか。なぜよそ見ばかりをしているか。不安に甘えたくて不安に甘えているくせに、なお誰に不安を訴えようとしているのか。

『睥睨のヘーゲル』

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