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武士の起源

武士はどのように生まれたのでしょうか?


武士どのように生まれたのか、

有力な説としては、いかの2つがあげられます。

①皇族や貴族の一部が地方に土着して武士の祖となった。

②古代以来の地方豪族が武士となった。

ただ、実際には、両方が混ざって地方豪族として武士となったと考えるのが一般的です。



日本の古代国家は、諸外国からの侵略に備えるため、奈良時代に「律令制」という強力な中央集権体制を作り上げました。

この「律令制」は、当時、日本(倭)より先進的であった唐や新羅の制度を模範とした制度です。

この国家体制で、日本は昔ながらの豪族連合軍に代えて、「国軍」を創設しました。

ところが、「白村江の戦い」以降、日本が諸外国との戦う機会がなくなっていきました。

このため、国軍を維持する必要性が薄まってきました。平安時代になると国軍は次第に縮小され、解体されていったのです。

しかし、海賊などの対処や治安維持のために、武力が必要になることはありました。

地方豪族などは、都度、そうした任に当たるようになりました。

平安王朝は武力を国家で管理するのをやめ、必要な時に、地方豪族の武士たちへ委託する政策へ転換したのです。

そのため、平安時代の武士たちは、普段は軍務に就いていませんでした。
但し、自分たちの勢力圏(シマ)を守り、他の者から権益を侵害されないために、武力を蓄えていたのです。

勢力圏内にある土地の権益が、彼らの収入源となりました。彼らは農場主のような立場ですが、自らが田畑を耕してはいませんでした。
田畑など耕すことはせず、武芸の鍛錬を行っていたのです。

勢力圏内からの年貢を収入源として生きている以上、武芸の鍛錬を怠ることはできません。領民から恐れられないと示しがつきませんし、他の武士たちに弱みをみせたら、たちまち自分の勢力圏の権益を奪われてしまいます。

平安時代の武士たちは、緊張感を持って生き抜いてきたのです。


以上

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