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真鶴町(まなづるまち)


過疎のまち 「美の条例」
近年、若者たちの移住者が増えている



1.神奈川県 真鶴町の特徴

真鶴町の面積は7.05km2。神奈川県内で2番目に小さいが、海に面した美しいまちである。

まちづくりに携わる人びとの間で、真鶴町は「美の条例」で広く知られている。

神奈川県足柄下郡真鶴町(まなづるまち)。相模湾に突きでた半島にある小さな港町である。

真鶴町は、北に小田原市、西に湯河原町に面し、周囲には箱根や熱海といったメジャーな観光地にも囲まれている。
それらのメジャーな観光地と比べると、真鶴街は素朴で生活感のある海辺の景観は対照的である。

そして、注目したいのは、素朴でありながらも美しさを感じられる生活景観に、近年、若者たちがひかれて移り住むようになっていることである。 

真鶴町の人口は6940人(2022年5月1日時点)だが、2019年度(令和元年)には転入・転出による人口の社会増減がはじめて増加に転じた。

真鶴町は神奈川県で最も高齢化率が高く、県下で唯一の過疎法(注)に基づく「過疎地域」とされる。

それにもかかわらず、なぜ若い移住者が増えているのだろうか?

(注)過疎法
過疎地域自立促進特別措置法の略。人口減少率、高齢者や若年者の比率などの要件を満たした市町村に対して特別措置を講じ、福祉の向上や雇用拡大などを目指す法律。


2.真鶴町の歩み
(1)真鶴町の弱点としての水問題
リゾート開発に列島が揺れたバブル時代に逆らって「美の条例」(1993年)という先進的なまちづくり条例を制定したことでよく知られた自治体である。

開発圧力が強かった時代に、なぜそれに反するような決断に至ったのか?
実は大きな理由として真鶴町がかかえる水の問題があった。

真鶴町には安定した水源がない。唯一の河川とされる岩沢川も「水無川」と呼ばれるほど水量に乏しい。

(2)バブル時代
バブル時代には「リゾート開発」が、ある種の圧力をともなって猛進していた。真鶴町にも強力な開発圧力がかかっていた。 

1988年(昭和63)に真鶴町ではじめて7階建ての大型マンションが建設されると、即日完売した。それ以降、役場には次々と開発計画が押し寄せる異常事態となった。

真鶴町は、この強力な開発圧力に対抗するために、1990年(平成2年)には「水の条例」と言われている「真鶴町上水道事業給水規制条例」と「地下水採取の規制に関する条例」を同時に制定した。

(3)弱点を強みに変えた「美の条例」
ともすれば、先の町営水道の最大供給量8000トン/日を優に超えてしまう。これではとても町民の暮らしが成り立たない。

町民の生活を守るため、なんとしてもリゾート開発をコントロールする必要があった。

この「水の条例」はたしかに開発を一時的に沈静化させることにつながった。

しかし、開発圧力に向き合いながら、真鶴町として、どのようなまちをつくるべきか、そのための体系的なまちづくりのルールをどのよつに定めるのか、向き合う必要があった。 

この真摯な検討により、「美の条例」と呼ばれる「真鶴町まちづくり条例」がつくられたのだ。

「真鶴町まちづくり条例」は次の点で画期的な条例である。

①いわゆる土地利用規制基準といった定量的基準 
 だけでなく、定性的基準となる「美の基準」を
 具現化するための8の「美の原則」と69の「
 キーワード」で景観形成のルールを定めている。

②加えて、開発行為の手続きの規定を明確化し、
 住民参加の手続きを設けている。

3.「美の条例」がもたらしたもの
真鶴町の魅力は、その景観だけでなく、人びとのつながりの強さや豊かさにある。

人びとが集う小さな商店が、チェーン店に塗り替えられていく様子は各地でみられた光景である。

それらを「美の条例」で抑制しながら、真鶴町ならではの「手作り感ある魅力」を地道につくっていった。

素朴でありながらも美しさを感じられる生活景観が、人びとをひきつけるのは、「美の条例」とそれを誇りに思い、日々まちづくりに取り組んできた行政職員や地元住民の努力の賜物である。

このような取り組みの結果として、ここ数年で真鶴街は人々に注目されるようになった。

真鶴街は、大衆的な観光地ではなく、地域の豊かな自然や生活文化に焦点をあてている。

これらの流れのなかで、魅力が高まり、真鶴町へ若者たちの移住者が増えてきたと言えるだろう。


以上

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