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「東京都の市場」の歴史について



〈目次〉
1. 市場のはじまり
2. 明治時代の市場
3. 昭和時代から現在の市場
■「花き部」の併設


1.市場のはじまり

「市場」のはじまりは、「市」と呼ばれる物々交換の場でした。これを制度化したものが、今日の「市場」です。

江戸に幕府を開いた徳川家康は、江戸城内で働く多くの人々の食事を用意するため、大坂の佃村から漁師たちを呼び寄せて幕府に魚を納めさせました。

一方、漁師たちは獲れた魚の残りを日本橋のたもとで売るようになり、これが魚河岸(魚市場)と呼ばれていたことから、現在の東京都の市場のはじまりとされています。

ほぼ同じ頃に青果市場も自然発生的に形成されたと伝えられていて、江戸八辻ヶ原(現在の神田須田町あたり)ではじまった青果市場を基として発展してきました。


2.明治時代の市場
明治維新による社会情勢や経済事情の急変が原因で、市場が混乱しました。そのため、当時の東京府は、「魚鳥並青物市場及問屋仲買営業例規並税則」を公布しました。

この例規は、市場の数と位置を限定するとともに問屋・仲買業者の数を制限し、その組合を結成することを命令したほか、免許料および府税を徴収するというものです。

この例規によって、東京府の許可のもとに民営の市場が開設され、庶民の食生活に安定をもたらしいましたが、大正12年9月に関東大震災が発生したため、東京の民営20数市場は大きな被害を受けてしまいました。


3.昭和時代の市場
昭和10年に築地、神田、江東の3市場が開設されました。これに続いて、荏原、豊島、足立、大森などにも市場が設けられました。

その後、高度経済成長期における都市人口の増加や、流通環境の変化に対応するため、板橋、世田谷、北足立、多摩ニュータウン、葛西(江東市場3分場を整理、統合)、大田(神田、荏原および蒲田分場、大森から移転)の各市場が開設され、現在、東京都には11つの市場が存在します。

■「花き部」の併設
昭和63年、東京都中央卸売市場で初めて北足立市場に「花き部」が併設されて以降、大田(平成2年)、板橋(平成5年)、葛西(平成7年)、世田谷(平成13年)の5市場にも併設して設置されました。


参照元: 「東京都中央卸売市場」のホームページ


以上

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