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書評のようなもの

書名「限界ニュータウン」

平成バブルの地価高騰の狂乱は郊外の市街地までおよんだ。そのことにより、更に超郊外に分譲地の開発が進んだ。

当時、家族によっては、戸建ての家に住むことは
夢であったのかもしれない。

超郊外の分譲地であっても、地価が安ければ買い手が現れるだろう。

この思惑だけで開発を進める不動産会社が複数 存在していた。

分譲地の購入者にとっては、豊かに広がる未来がそこにあるはずだった。

本書では、一般ビジネスパーソンの著者が、各地に点在する超郊外の分譲地について、ジャーナリスト的視点で事実に迫っている。

超郊外の現在は、へき地の中に「住み続けている住居」とともに「空き家」がバラバラに存在する。 

著者はこれらの場所を「限界ニュータウン」と
呼んでいる。いわゆる「限界部落」と「ニュータウン」をあわせた言葉と言えそうだ。

平成バブルが崩壊した後、地価はジェットコースターのように急降下した。とくに前述の超郊外のエリアのスピードは狂乱的であった。

限界ニュータウンとは、へき地に分譲地の開発がされた場所だ。

「日本の経済成長がいつまでも続くだろう」。

この根拠なき神話は崩壊してしまった。
限界ニュータウンは平成バブルが生み出したの影の産物であり、現在、その実態は多くの人々に認知されていない。

電車、バス、幹線道路などの交通インフラ。
電気やガスなどのエレルギーインフラ。
日常の生活に必要なものをそろえるために必要な
スーパーや店舗。そして教育機関や医療機関など。これら生活に必要な基盤が整わなくなってしまい、現在に至っている。
※いや、神話が崩壊しなければ、街としての開発が進んで、徐々に整うはずだった。大きな誤算である。

限界ニュータウンに分譲地を購入し、家を建て、
そこに住みはじめた居住者たちは、生活の基盤が整う前に見切り発進してしまったのだ。

限界ニュータウンは不動産価格が購入時に比べて、またたく間に下落してしまった。一方で居住者が契約した住宅ローンは残ったままとなった。

その後、日常生活が不便なため、限界ニュータウンから他の街へ移る人々は増えた。但し、不動産価格は安くても、生活に不便な街の住宅には、いつまでも買い手が見つからず、空き家が散見される。

また、限界ニュータウンにとどまる人々もいる。
一概には言えないが、経済的理由が多いと思われる。

人々が少なくなり、荒廃していく超郊外。
限界ニュータウンに未来はあるのだろうか?

本書は日本の多くの過疎地域とは異なる街の真実に迫る、類い稀な内容であった。
社会には表面化していない根深い問題が他にも多く存在するような気がしてならない。

(注釈)
著作権等を考慮し、本書の著者名や出版社名の
記載はしていない。




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