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不器用な男、カンザキイオリ

本記事は、2020年に企画されたボーカロイド特集のフリーペーパーに寄稿したコラムを再編集したものなります。

テーマは「好きなボカロ曲」ということでしたが、残念ながらフリーペーパーは発刊には至りませんでした。

でもせっかくなので、カンザキさんの記念すべき第一回公演に添えて、よければご拝読いただければと思います。

■ボーカロイドを通してみる、カンザキイオリ像

過去を回顧するべきか、未来を見出すべきか。

2007年に初音ミクが登場し、ボーカロイドというカルチャーが形成されて14年。

私もポップカルチャーと呼ばれる世界に身を置いて、同じぐらいの年月が経とうとしている。

一つのカルチャーに対し、これだけ長く、強い生命力を持つムーブメントは稀有で、それはもう伝統文化の領域だ。

1年延期された東京オリンピックを迎える今年、好きなボカロ曲を1つを選ぶ際に頭をよぎったのが“これまで”と“これから”という視点だった。

私にとってボーカロイドの歴史は、ポップカルチャーの歴史に等しい。私自身もボカクラ(ボカロ楽曲が流れるクラブイベント)へ遊びに行っていた大学生から社会人へステータスが変わり、ボカロPの方と制作を共にさせて頂いたこともある。

同人活動の一貫として、ネットレーベルで生誕10周年を記念した初音ミクのコンピレーションアルバムもリリースさせていただいた。

今では制作会社を設立し、ボカロPの枠には収まらないクリエイターの方に近い領域で仕事をさせて頂けていることは大変光栄なことだ。

これまでの作品を通して思い出を振り返りながら過去を未来へ繋ぐ。いやでも、これからのポップカルチャーについてを記すべきなのではないか。

このような葛藤の中で選ばせていただいた楽曲が、カンザキイオリの『命に嫌われている。』だった。

正直、楽曲はどれでもよかった。

今現在進行形で発生している、彼の音楽や渦巻く現象から溢れ出る、カンザキイオリという才能に、どうしても触れたかったのだ。

■カンザキイオリが生み出す才能の形

才能というのは天から与えられるものと思われがちだが、彼の場合は異なる。

2000年以降、社会がカテゴライズした“若者”という偶像。様々な外界からの圧力によって形成されたのが、“カンザキイオリ”というある種、神格化された存在だ。

「ゆとり世代」「デジタルネイティブ」「ミレニアル」。

彼の正確な年齢は筆者もわからない。しかし、こういった“若者”を意味もなくカテゴライズしたチープな言葉すらもすべて飲み込み、作品として昇華する。

カンザキイオリは「時代」そのものなのではないか。

YouTubeでリリースされる彼の音楽作品は、その影響力から歌ってみたを始めとする有象無象の二次創作の作品が公開されている。

しかし、彼のオリジナルが持つ潜在的に他を圧倒する芸術性は拭えず、どのような二次創作であっても、最終的にカンザキイオリへと帰結されるのだ。

“天才”の意味すらもアップデートする彼の才能は、音楽だけに収まらず小説という形でもアプローチしている。

この先の10年、ポップカルチャーという狭い界隈ではなく、世界そのものがカンザキイオリをどう受け止めていくか、楽しみで仕方がない。

■第一回公演「不器用な男」を終えて

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ライブを通してもですが、2021年6月に公開されたアニメーション映画『映画大好きポンポさん』の主題歌『窓を開けて/CIEL』、挿入歌『反逆者の僕ら/EMA』、『例えば/花譜』ではカンザキさんの新たな音楽としての境地を感じていました。

花譜「不可解弐 -REBUILDING-」Q3でのメッセージでは、未来を切り開く、命を繋いでいくための音楽、そんな変化が見受けられたのです。

未来を切り開くということは、大人になることへの葛藤。

生きていくということは、死なないことへの反抗。

そんな強い想いが圧倒的な表現力で、映像で、演出で、そして、音楽で裏付けてくれたライブだったように思えます。

生と死とは、若者から大人になるとは。

ボカロPから音楽家、表現者へと成長していくカンザキさんの今後が本当に楽しみです。素晴らしいライブありがとうございました!!

有料ではありますが、Z-aNにて見逃し配信もされるそうなので是非みていただきたいです。

https://www.zan-live.com/live/detail/10102

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