小池昌代さんの『単ぼた』『小説』評が「びーぐる」36号に掲載されました。

今年四月、久しぶりに東京でお会いしたとき、前日印刷所からあがってきたばかりの新詩集二冊を手渡した。その感想を、小池昌代さんが雑誌「びーぐる」の最新号に執筆してくださった。

『単ぼた』の攻撃的な饒舌の裏側にある僕の「泣き所」を『小説』に収めた「大阪」に見つけられてしまった。以前『対詩・詩と生活』を共作したときのことを思い出す。交互に詩をやり取りする中で、小池さんは一見受身に立つと見せながら、その実僕の足場をぐらりと揺るがすような、鋭い突きを入れてくるのだった。

とは言え、時里二郎さんからも同じような指摘を受けているのだから、これは事実として受け入れるしかないだろう。自分が書いているときには想像もしなかったことが、本になって人の目に触れることで暴き出される。恐ろしいが、ありがたいことだ。

時里さん同様、小池さんもまた『単ぼた』における天皇制の要素を取り上げてくださった。そういえば四月にお会いしたとき、明治神宮の境内を散歩しながら、天皇制や和歌についても話したことを思い出す。陽射しはまぶしかったが、空気は肌寒いくらいで、枝にはまだ桜の花が残っていた。彼女は美智子さまの歌の素晴らしさについて語り、僕はヨーロッパ人の強烈な自我の前に立ったときに否応なく自覚させられる、内なる天皇制を告白したのだった。


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