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音楽恐怖症
はじめに:音楽恐怖症という言葉はおそらく私の造語です。
音楽がだんだん必要でなくなってきたという感覚はちょっと前からあったのですが、いよいよ危機的な状況かもしれません。
お店に入って音楽が鳴っていたりすると、もう、ダメ、です。
何が、ダメかっていうと、
「時の流れを勝手にリズムで刻まないでほしい!」
「何もない空間に旋律で道筋をつけないでくれ!」
という拒絶反応が起きるようになったからです。
こんな拒絶反応、ちょっと理解しがたいですよね?
最近は音楽が耳に入ってくると、そのリズムやテンポに合わせるように強要されているように感じてしまうのです。
変な例えですが、突然暴走するトロッコに乗せられたような感じとでも言えばいいのか?
ほんの半年前までは音楽のリズムやメロディーがとても心地よかったのですが、なぜか外圧に感じるようになってしまいました。
今は、音楽が流れていない静かな部屋でいることや、音楽が流れていない状態で自分のテンポで歩くことがとても心地よく感じられます。
視覚と聴覚
自分が心地よくないものを目にした場合、目を背けたり、目をつぶってしまえば、シャットアウトすることができます。
ところが聴覚的なもの、つまり「音」はちょっと厄介で、不快な音をシャットアウトするためには耳をふさぐ必要があり、目を閉じるように簡単にはいかないのです。
そして、音は伝導するものなので、耳をふさいでも振動が伝わってしまい、完全にシャットアウトすることが困難とも言えます。
耳って無防備です。音楽を聴きたくなくても、耳に飛び込んできてしまうことはいっくらでもありますから。
音楽にのせられた私たち
私は今テレビを持っていないので見る機会もほとんどないのですが、見ていた頃を思い出してみると、テレビは映像もさることながら、音楽も鳴りっぱなしです。
特にCMは音楽が付随していないものは皆無でしょう。
テレビだけではなく、買い物に行ったり、お店で外食したりといった時に音楽が流れているかどうか、ちょっと意識的になってみると、私たちの生活に音楽があふれかえっている現実に気づくと思います。
私たちは音楽に包囲されているかのよう。
ちょっと、こんなこと言うのは陰謀論みたいでためらわれるのですが、
音楽ってその時代の波に人々をのせてしまうために、社会が過剰に利用しているのではないか?と思うことがあります。社会というと漠然としすぎていますが、消費社会と言えばいいのかも...
100年前の音楽はぜーんぶライブ
今のように、オーディオのテクノロジーが発達するほんの100年前までは、耳に入ってくる音楽はライブ演奏のみだったのかもしれません。
蓄音機以前の話です。
日常的には耳にする音楽は、子どもたちが歌うわらべ歌だったり、母親が歌う子守唄だったり、はたまた教会の賛美歌だったり。
どれをとっても、録音されたものではなく、リアルタイムで歌われているものや演奏されているものばかり。
つまりみーんなライブ。
そう考えるとかつての人々が音楽を聴く機会というのは、今とは比べ物にならないくらい少なかったとも言えそうです。
今の私は音楽に接する頻度が100年前の感じがちょうどよいのかもしれません。
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