見出し画像

なぜ相手の浮気は許せないのか?

今異性、いや同性でもその対象はどちらでもいいのですが、とにかく恋愛している方、いっぱいいるでしょうね。

私なんかもうそんな時期は過ぎてしまったので、noteの恋愛に関する記事を読むと悲しいかな、隔世の感をいだいたりします(笑)

ま、それは置いておいて、今恋愛している方の中には、二また、あるいは三つまたかけている方もいらっしゃるかもしれません。

実は私の中学校の頃の親友がある日こう言ったんです。
「なんで付き合う相手は一人じゃなきゃいけないんだ?」と。

中学校時代の私もその友人も、モテるような男の子ではなく、どちらかというと女の子からは縁遠い生徒でした。
しかし、女の子から縁遠いにも関わらずその親友がなぜそんなことを言い出したのか、と今もって疑問に思います。

その言葉を聞いた当時、私は一人の恋人すらいない中学生だったわけですから、「何を急に言い出すんだコイツ。お前もオレもまだだれとも付き合ってないじゃん」くらいは思ったはずです。
彼の言葉、理屈としては何となく理解できましたが。

だって、「恋人は一人でなければならない」なんて法律はないわけですものね。少なくとも日本には。
あ、この記事結婚している場合は想定外ですので。


しかし、大人になって、自分が実際に一人の彼女では飽き足らず、二またかける経験をすると、その中学時代の親友の言った言葉が現実味を帯びて蘇ってきました。

二またかける私には罪悪感があって、さすがに二人のお相手にその事実を知らせることはありませんでしたが、「バレなきゃいいじゃん」という気持ちがあったことは否めません。

けれど、勝手極まりないもので、私が付き合っている相手(本命)、あるいは二またかけているお相手(二番手)にせよ、もし彼女らが自分以外の人と付き合っているなんてことが発覚したら、おそらく気も狂わんばかりに嫉妬したでしょう。

「したでしょう」と憶測になってしまうのは、私はフラれた経験はあるものの、相手に確実に新しいパートナーが現れたということを知った経験がないからです。
ただ、自分の付き合っているお相手が他の男性と楽しそうに話をしている様子を見たりした時などに感じる嫉妬心から思いはかるのはたやすいことです。

中学生の頃の親友はまだ恋をした経験なく発言したわけですから、恋愛経験を重ね、嫉妬という気持ちの狂おしさを体験していたなら、あの発言を撤回していたかもしれません。

「私は二またかけたことはない」と断言する方もいるかもしれませんが、本当でしょうか?
実は微妙な気もするのですが。

なぜかというと...


大体多くの人は、生涯で複数の人と付き合うと思います。
そしてAさんからBさんへと付き合う相手が変わる時、Aさんとキレイさっぱり、完全に別れてからBさんへと乗り換え、そしてさらにBさんと完全に別れてからCさんに移り変わるだろうか、と疑問に思うわけです。

私の勝手な想像ですが、付き合っているAさんと倦怠期を迎えているところに新たにBさんという人に出会い、まだAさんとの付き合いにきちんと明確なピリオドを付ける前に、Bさんとの付き合いが始まって、そして事後にAさんとお別れするみたいなパターンっていくらでもありそうな気がします。

そう考えると「ひどいよね、あの人、二またかけてたなんて」と誰かを非難することができる人、非難できる資格のある人なんてそういるものではないような気さえします。

後から振り返れば二またかけたことがあるなぁ、という人の方が多いのでは?

冒頭に書いた私の親友の言葉は、今思うに正論だと思います。
実際世の中で、これを正論と大きく主張する人はいないにしても、事実としてはまかり通っているのではないでしょうか?

まかり通っているのに、色恋沙汰の地獄絵があちらこちらで繰り広げられない理由は一つ。

『多くの人は隠し通しているか、嘘をついているから。』

誰と付き合っても自由なのに、実際はそんなに自由に振舞えない。
じゃぁ自由を実現するためにはどうするか、と言えば隠すか、嘘をついてとぼけるかしかありません。

でもこれって決して悪いことではないと思います。平和に自由な恋愛をするためには、それしかない。特に嫉妬心を招かないためには。


たまにいますよね、こういうセリフを笑いながら言う女性。
「浮気するならバレないようにしてよね」って。

私は、恋愛に関して嫉妬心というものがなければいいのにな、と思ったことが何度もありました。今でも思ってますが。

自分が二またかけるのは平気で、相手には許さないって、それ嫉妬心、独占欲以外の何物でもなくって、身勝手極まりなく、そしてなにより不公平だと。自分が二またかけるんだったら、相手にもその自由を認めるべきです。

でも、もし本当に恋愛の自由、二またも三つまたもOKという世界が実現したら、きっと嫉妬心というものが消え失せて、今の”恋愛”というもの自体がそもそも成り立たなくなるかもしれませんね。

結論:恋愛は嫉妬心を基軸とする不自由さの象徴である。

どう?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?