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【小噺】異文化の建物について

ヨスガシティに存在する信仰施設「異文化の建物」。BGMは流れず、NPCはどこかフワッとしたスピリチュアルなことばかりを話す。

その不可思議さの割にストーリーには一切関わってこない。

一見すると謎の施設だが、これの存在理由について考察する。

異文化の建物について整理

異文化の建物は、ヨスガシティに存在する。ヨスガシティは、「よすが(縁)」の言葉を冠する、「心が 触れ合う 場所」。

異なる心を持った人々が触れ合う場所であれば、「異文化の」建物が存在するのも頷ける。

異文化の建物は、信仰施設である。どういった信仰かと言えば、テンガン山信仰である。

建物内部正面には、山頂から光を放つテンガン山が描かれている。テンガン山は、シンオウ地方の霊山である。山頂から放たれる光は、シンオウの神が降臨していることを示している。

信仰者たちも、テンガン山やシンオウ地方にまつわる神話について話す。例えば…

「オヤジがいて 俺がいて 息子がいる。これが 人生なんだ。そして 自然があって ポケモンがいて オレがいる。それが 世界なんだ。」

また、

物質精神。どちらが勝ちすぎても どちらが負けすぎても よくないの。大事なのは 釣り合い。バランスが取れていることなの。」

人生(時間)と世界(空間)、物質と精神、相対するもの同士の釣り合い、といったテーマはシンオウ神話の中に散見されるものである。
また、『Pokémon LEGENDS アルセウス』におけるコンゴウ団やシンジュ団の思想ともそっくりである。

以上より、異文化の建物がシンオウ神話の信仰施設なのはほぼ間違いない。

すると、解決すべき疑問は、「シンオウ地方にある、シンオウ神話を信仰する施設なのに、それが『異文化の建物』なのはなぜか?」というものになる。

なぜ「異文化」?

結論から言うと、現在のシンオウ地方においては、シンオウ神話がほぼ駆逐されているため、異文化のように見えるのである。
というより、もはや実際に異文化と言えてしまう段階まで神話が駆逐されてしまっている

プレイヤー視点だと、ハクタイやカンナギ、槍の柱など、シンオウ神話の痕跡を何度も目にすることになるため、シンオウ地方には神話の伝承が色濃く残っているように錯覚してしまう。

しかし、シンオウ地方に生きる人の大多数は、シンオウ神話を見聞きすることはほとんどないと考えられる。

ハクタイですら伝統を忘れかけ、カンナギですら「昔話」として残しているのみである。
そもそも、人生の中で、カンナギタウンなどという鄙びたところにわざわざ出向く人は果たしてどのくらいいるのか。

…昔話の形ですら聞くことがほとんどないのに、ましてや原型の神話の形で、となると、、、それこそナナカマドやシロナのような研究者くらいである。

まとめ

異文化の建物は、シンオウ神話を信仰する施設である。

シンオウ神話は、現在のシンオウ地方では「異文化」と呼んで差し支えないほどに希釈されてしまった。

だからこそ、シンオウ神話の信仰施設が「異文化の」建物なのである。


また、上記は全て異文化の建物の在り方から考察されたものであるため、
異文化の建物は、その名前や在り方から、シンオウ地方の世界観を教えてくれる舞台装置のような役割を持っているのではないか。

また、そのやり方が間接的すぎて読み取りにくいため、不可思議な印象を受けるのではないか。

以上が、異文化の建物に関する考察です。

なぜここまで神話が薄まってしまったのかについては、

ヒスイ地方→シンオウ地方 街の成り立ちを考察する

のカンナギタウンの項に考察を記しているので、良ければご参照ください。

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