これは絵じゃない。
これは絵画ではなく、カラー写真。
ニューヨークの写真家、ソール・ライターが撮ったもの。
フィルム写真が「エモい」とか言ってリバイバルしているけれど、さかのぼって1950年代。カラー写真はナンセンスで、「モノクロ写真」こそが芸術!の時代があった。カラーのフィルム写真なんて広告用に撮られて、消費されていくものだったらしい。
では誰がカラー写真がエモくて(とは表現したくないけど…)1つのアートとして認められるようにしたのか。
その立役者が《ソール・ライター》です。
厳格なユダヤ教の超厳しい家で育った彼のルーツはおもしろくて。色々勝手に決められてしまう厳しい両親をもつ方は共感するかもしれません。自由にできるものを探したライターは「絵を描く」という表現方法に光を見つけ、画家を志すようになりました。もちろん両親、とくに父は猛反対。それでも彼は諦めきれず単身ニューヨークへ。
そしてニューヨークで写真という表現方法の可能性や手応えを感じたんです。
彼の映し出す絵は独特のムードがある。というのも良い意味で真正面から撮らないからです。「何も起きていなさそう、だけど何かが起きている。」自身の作品についてそう言ったライター。何かを見つけたくなる。どうしても気になってしまう。そういう写真を撮るのが彼の1番の魅力だと思います。
2017年、渋谷のBunkamuraでの回顧展に引き続き2020年。再びBunkamuraで行われている「ソール・ライター」展。ぜひ時間のあるときにじっくり見て回ってほしい。私が書いたことなんて屁でもない、もっと濃密にライターを感じられるボリューミーな催しです。本当に!
筆記用具などでメモをしたいと思いましたが、私は全然マメじゃないので手ぶらでブラブラ。その代わり?2週しちゃいました。でも学生時代に仕方なくやっていた板書同様、自分に刺されば、印象的なところは覚えているものだなとnoteを書いていて思っています。
私が思う1番の見どころは、1950年代のアメリカ。「ハーパーズ・バザー」や「ELLE」「VOGUE」などの雑誌でファッション・カメラマンとして活躍した彼のその後です。ファッション業界も商業性がつよくなり、撮り方を変えず、好きなものを曲げなかったライターはなじめず、忘れ去られてしまう、その後です。それでも写真を撮り続けた彼の作品に、心境の変化がどうにじみ出ているのか?出ていないのか。自分を売り込むことが「美学」に反した彼の作品にスポットライトがあたるのは遅かった。それでも注目された理由がわかります。ぜひBunkamuraへ。
ちなみにソール・ライターの放った言葉がいくつか壁にプリントされていますが、どれも彼の哲学がにじみ出ており、グサグサ刺さります。
小話で、「傘」が好きすぎで撮りまくっていたら助手に「もう傘はいいですっ」と言われ、「好きだからしょうがない!」と返した彼の子供っぽさが垣間見えるエピソードとか、カリスマ性に垣間見える人間らしさが素敵です。
ニューヨークが生んだ伝説の写真家「永遠のソール・ライター」
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/
スマートフォンやPCで事前にチケット購入するとスムーズ。昨今の状況を加味して、室内でのおしゃべりはダメでした。感動の共有はおあずけ〜。
土日は時間予約して入場しないといけないみたい。
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