【思いつき】鬱とは、資本主義への唯一の武器なのではないか

標題のようなことを思ったので書く。

 最近、「現代経済学の直感的方法」という本を読んでおり、経済(というより資本主義)が止まることはないのだろうかと考えている。
 先に注釈しておくと、僕は別に資本主義に恨みをもってはいない。社会主義の崩壊も結局は、社会主義体制下でも資本主義的価値観が個人レベルでは優勢だっただけという風に理解(曲解)している。なので、自分がそこから逃れうるとは考えておらず、どちらかというと自分たちも含めた人類の終焉についての興味でこの話を書いている。

 それで、どうやって資本主義社会が終焉を迎えうるかを考えると、人類全体が鬱のようになって、闘争をやめることで、社会は止まるのではないかと思った。全人類が今よりあるいは他者より豊かであろうとすることを辞めざるを得なくなることで、いやおうなしにその拡大が終わるのではないかと思った。
 似た現象はもう少し小さな単位では既にいろんな所で起きているのではないかと思う。過労死自殺の事件があって働き方改革があったりとか、である。ただ、実際に社会全体が止まるという事象は現状からは程遠い。なぜなら、この鬱のような状態が資本家階級までもれなく及ぶ必要があり、その時点では人類の大半はすでに死んでいると思われるからだ。もっと言えばそうなる前に核戦争なり何なりが起こるだろう。

 しばらく前に僕の所属部署の上司が鬱になるという事件があったこともあって、そんなことを考えているここ最近である。

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