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SNSとインターネット

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SNSやインターネットに関する記事
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#投稿

発言、発信、投稿、記事、などは、発信者の利益のように見えて、実は受信者に最も利益がある。 それらをどう活用するかは受信者次第であり、上手く活用した人が成功を収める。

全体的にSNSの反応が悪くなってきている(からの)最適化

体感的なことですが、自分がやっているSNSの「いいね」や「フォロー」などの反応が全体的に悪くなってきている感じです。 とくに増やそうという努力もしていないわけですが・・ 概ね自分のコンテンツのせいだとは思っていますが、世の中の「SNS離れ」も進んでいるのかな?という感覚もあります。 note に関してはユーザー数が増えたことによって、自分のようなアカウントのリーチが減っているかもしれないなあと思ったりもします。 また、SNSの中心年齢が下がってきていて、自分はもうかなり

にこやかな交流|X ポストそのまま

X で投稿している人々を見ていて、ああ、こういう投稿はSNSの理想だなあと思う投稿をしている人がいるね SNSは意見を述べ合あわず、宣伝することもなく、誰かを批判せず、にこやかに交流するサロンになることが理想的だなと思う そういうにこやかな場にするために、自分ができることは何か

SNSの噂も75日

SNSでちょっとバズったぐらいだと数日で誰も反応しなくなる。 最近スパムが多いなーと思っても2週間ぐらいでその波は収まる。 スパムフォローなどは、おそらくどこかのリストや誰かのブックマークに入れられたとき、リポストされたものなどが参照されたのがきっかけで来るのかなと思ってる。 しばらくブロックを続けているうちに、やがて来なくなり、またしばらくすると思い出したように来たりする。 75日というと2ヶ月半SNSだけで2ヶ月半も同じ話題が反応し続けることってまず無いのではないか。

死語を隠語、スラングとして使うという技があるのですよね😊

書きかけた投稿を途中でやめて、しばらくしてから投稿しようと思ったら全然、つまらなく感じてやめることも多い。 ということは、多くの投稿がつまらないものかもしれない。

閉塞感打開術 ①コメントしまくる

①と書きましたが ②があるかどうか分かりません💦 なんか自分のなかでイマイチだなー、うーん、、と思うことがあると思います。 そういうときには・・ 投稿しまくる コメントしまくる メッセージちょっかいしまくる というのが打開策になる場合があります。(場合です) コメントコメントって、言って相手がどう反応するかって、気になりますよね。 それはね、一つだけコメントして待ってるからなんです。 あっちこっちの人にコメントしてたら、そんなのイチイチ考えなくなりますから。 返信

「拡散性」に依存する弱い心

なぜ X(Twitter)だと強い口調になるのか。 いや、そういうのは自分だけかもしれませんが、なぜか X に投稿するときは強い口調になりがちです。 強い口調 = 伝えたい というエネルギーの発散なんだと思います。 拡張性に依存するX は最も拡散性の高いSNSだといわれています。 その理由はおそらく ユーザーが多い メディアが多く参加している リポスト機能や引用リポスト機能がある コメントも独立した投稿として扱われる などを併せ持っているからだと考えられます。

作品とメッセージの違い

「作品」と「メッセージ」は比較できるものではないかもしれませんが、SNSやブログで文章や写真を投稿しているとき、しばしばこの違いについて考えることがあります。 クリエイティブの結果が「作品」なのか「メッセージ」なのかを考えることがあるということです。 作品とは制作物 芸術的なもの 鑑賞の対象となるもの メッセージとは言葉またはそれに準じるもの・声明 人から人へ伝えられる考え方・見方 スタンスを明確にするもの 音楽における作品とメッセージ楽曲は音楽家による「作品」

Myネガティブ投稿をなくしたい

「ネガティブ」の意味は 否定的 マイナス極 明暗色相が実物と反転したフィルム というような意味があります。 否定とか反対とかは、それ自身にはさほど悪い意味はないと思います。 他者に対して否定したり反対することも、他者は歓迎しませんが、社会的には必要な場合もあります。 他者を悪く言うことしかし、単に自分の気持ちだけで他者(人や組織)を否定すること(もっと具体的には「悪く言うこと」)は、相手がそのことを知ると不快になるし、また社会的に求められるものでもありません。

くだらないことでもカッコよくやればOK

くだらないことをダラダラとしゃべっていると「なにウダウダ言ってんだ」と思われるだけですが、 例えば詩に書いてみると「なんかいいね!」と思われたりします。 詩人・俳人でも、自分が思ったことを素直に言葉にしているだけですが、文章が体裁のよい、余韻のきれいなフレーズを使っているから、どんな思いでもカッコよく感じるのです。 普通にSNSやブログで、自分が思ったことを素直に言葉にしても、なかなか素敵だとは思ってもらえません。 日常のくだらないことや、ネガティブな感情は、なおさらです

Threads という新しい空間

Threads で勝手に投稿が流れてくるから見ていますが、新居に引っ越したような反応が多いですね。 ワクワクしている人もいるし、不便なところをボヤいてる人もいます。 ひたすらワカラナイと言ってる人もいる😊 僕は Twitter 的な使い方をしようとしていますが、やはり Instagram の延長の人が多くて、写真がたくさん流れてきますね。 ザッカーバーグ氏はテキストを流していて、おそらく彼自身がこういうの、やりたかったんだろうなと感じました。 Threads で好きなと

見る人が不快にならない投稿とは

SNSのマナーについて書かれている記事で「見る人が不快にならないような投稿をしましょう」というようなことが言われがちですが・・ 不快は人によって違う不快、あるいは不愉快と感じるものは、人によって違います。 以前「リア充」という言葉が流行りましたが、他人の幸せそうな投稿を不快と感じる人もいます。 そういうのは単なる妬みだと切り捨てる人もいるでしょうが、たしかに妬みですが、その人にとって不快なことは確かですね。 だから「不快な投稿をしない」ことは不可能に近いのです。 不快な

SNSは文句を言うためのツールではないので

いろんな考え方があるから、一概にSNSはこのように使うべきということは言えないわけですが、Twitterなどを見ていると常に誰かに文句を言おうと思っている人がいるし、実際、そういうコメントも多いと思います。 文句ばかりつぶやいている人もいます。僕も一時期はそうでした。 テレビ番組のハッシュタグは、文句を言うためにあるような感じです。 コメント ≠ 文句note でもそうですが、自分は普通にコメントしているつもりでも、相手が「文句を言われている」と受け止めそうな場合がありま