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SNSとインターネット

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SNSやインターネットに関する記事
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2023年4月の記事一覧

誰かの役に立つという考え方のニュアンス

いまは「誰かの役に立ちたい」と言う人が多いと思います。 僕が若い頃は、そう言うのはカッコ悪い、照れ臭い、という風に捉えていました。他人の前で「誰かの役に立ちたい」と言うのはちょっと勇気が必要だったかも? うっかりそういうことを言うと「偽善」や「売名」だと言われかねない雰囲気がありました。 もちろん、本心でそう思うなら、それはとても素晴らしい考え方だと思います。 お役立ちブログブログなどで「役に立つ内容」を書こうと思う人も多いと思いますが、なぜそう思うのでしょうか? 自分

この人が言ってることは素晴らしいが近寄らない方がよいのではないか?🤔

僕らが若い頃は、なんとなくホワーっとしていても暮らせた面があるけど、今の若い人には、そういう人は少なそうです。 とてもしっかりしていて、言動に感心することも多いのです。 ビジネスと引き換えの知性SNSには、巧みな理論と感情に訴える言葉でフォロワーを集め、DMに誘うアカウントも多いですね。 そういうビジネスが、決してまともではないというのは直感的に分かるのですが、時折、非常によい考え方・理にかなった話をしている人に遭遇して驚かされます。 若いのに、その考えはどこから仕入れた

礼や儀式を重んじる文化の滑稽な側面

ツイッターに投稿していてふと思った話です。 日本には、礼や儀式を重んじる文化がありますが、おそらく 武家社会 → 礼 貴族社会 → 儀式 から来ているのだろうと思います。 具体的根拠はありませんが。 戦いの折に「やあやあ我こそは〇〇〇〇」と名乗りを上げてから戦うという習わしが、元寇の際にモンゴル軍に通じなかったとかいう話を聞いたことがあります。 そのような滑稽さを、今の日本社会でも感じることがありますね。 プロフィールプロフィールに「ああしてくださいこうしてくだ

ハッシュタグを沢山入れるのはNGと言われる理由が分からない

「ハッシュタグは5個以内にしましょう」みたいなことが言われるのですが、その理由が分かりません。 僕は馬鹿なのでしょうか? なぜハッシュタグを沢山入れるのは良くないのでしょうか? 不明です。誰か教えてください。 NGと言われる理由として考えられることシステム上、処理が多くなり重くなる 沢山あると読む人が鬱陶しい このぐらいしか思い浮かばないのですね。 もし1が理由なら、少し控えようかなとは思います。 自分でも検索システムを作っていたことがあるため、データベースの処理と

同じ意見のなかに気づきはない

SNSのコメントで最も多いパターンは、 元気出ました 同意します なるほど目から鱗 辺りかなと思います。 でも個人的には、同じ意見ならべつに言わなくても良いだろうというのがあります。いいねで十分だと。 だから僕がコメントするときは、 僕はこう思う それはどうなんでしょうね なるほど目から鱗 のようなコメントになります。(3番だけ一緒😊) 投稿者側から見れば、あまり可愛くないコメントですよね。 結果、コメントの返事をもらえないこともあります。 いいねももらえな

アイデンティティの深い話

過去一年ほどの間、note に投稿しながらいろんなことを考えました。 アイデンティティについてもしかり。 きょうTwitterでこの記事が流れてきました。 ちきりんさんが5年以上前に書いたブログの記事です。 こういうのを読むと、ある面では楽になるけれど、別の面では苦しくなる。 そんな印象があります。 真実ではないが、AI的なもので真実めいたものが分かってしまう、恐ろしい世の中の到来です。 知らなくてもよいことを知って、そのことを前提として事実が作られていく世の中なんです

他人と同じ or 違うで一喜一憂する人々

他人って気になる存在ですよね。 それはたぶん、僕らが社会に生きているからだと思います。 他人の存在なしに社会は成立しませんから。 他人は二通り他人といっても、いろんな人がいますが、大きく分けて二通りあると思います。 関係のある他人 関係のない他人(赤の他人というやつ) 普段のリアルな生活では、この二つはわりあい、明確に区別されていますが、SNSではしばしばあいまいになります。 いいね いいねを押すときの感情って、どんなものでしょうね? それも二通りあるように思いま

公開されない真実と親しい友だち

心置きなく話せる友達とだけつながる SNS が、あったらいいと思うことがあります。 真実を伝えないといけない、せめて友達には教えてあげないと! と思っても、公開の場では差し障りのある内容があったりします。 でも、せっかく教えてあげたのに、なぜかその話が差し障りのある人に届いてしまったということもあるかもしれません。 それは、友達が信頼できるかどうかにかかっているかもしれませんね。 海外で民主化運動などをしている人には、そのような真実を伝えるに十分なネットワーク(SNS)

note = 自問自答を共有する媒体

最近思う、 なぜそれほどまでに note にムキになるのか? 誰に向かってムキになるのか? それは自分。 こんなのは、note だけだ。 #自分 というハッシュタグは人気があり、みんなのフォトギャラリーで「自分」を検索するとイメージが数多出てくる。 「自分をさらけ出せない」と言われる世の中にあって、note の世界は別だ。 他の媒体では、他者へのメッセージや、作品の発表や、結果の報告をしているのに、note ではなぜか、自問自答をしている。 そしてそれを共有している。