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80年代のレガシー

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1980年代について書いた記事
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#思い出

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角松敏生 "DO YOU WANNA DANCE" in the "SUMMER TIME ROMANCE〜FROM KIKI"

1983年12インチシングルリリース 1984年リリースアルバム "SUMMER TIME ROMANCE〜FROM KIKI" 収録曲 ハワイKIKI局のDJカマサミ・コングによる曲紹介とともに流れるバージョン。 ホールにいるような臨場感があり、オリジナルよりもこちらのバージョンの方が個人的に好き。 80年代のディスコで真剣に踊っていた人、音楽にのめり込んでいた人、ナンパに使っていた人もいたわけだが・・ 多くの会社員は金・土の夜、あの雰囲気を楽しみに出かけては、なんとなく手足を動かしてブラブラ踊っていたのではないだろうか。自分もその一人。 個人的にディスコは、六本木のザ・リージェンシーと日比谷ラジオシティの2か所しか行ったことがない。会社の友達と「次はトゥーリアに行こうぜ」と言っていた矢先に例の事故が起きた。 それでリージェンシーは現在解体中(?)のロアビルの上階にあって東京タワーが見える華やかな雰囲気の場所。結婚式の二次会が行われたりしていた。 ラジオシティは富士電機かなんかのビルの地下だったと思うが、会社員となぜか女子高生グループがいたのが不思議な雰囲気だった。(たまたまか?)妙に明るい子たちで、東京の高校生は自由でいいなと思ったのを覚えている。 いま思い出せるのはそのくらい。

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大江千里 "塩屋"

1987年リリースアルバム "OLYMPIC" 収録曲 最近なぜか大江千里をときどき聴いている。YouTubeで。 「塩屋」は神戸の海岸沿いの町で、山際に瀟洒な異人館などが建つ静かな所。JRと山陽電鉄が通っていて、それぞれの塩屋駅がある。 小さい頃に垂水に住んでいたことがあるが、大人になるまでなんだかんだとこの辺りの海岸線は行ったり来たりしている。かつて国道2号沿いには店舗の廃墟が点在していた時期があり、カメラを持って撮り歩いたこともあった。 塩屋駅や、隣の滝の茶屋駅で降りて歩いたり、バイクで山の方まで上がったりしたことも。 陽だまりの中に浮かぶような町。高台からはキラキラと輝く海が見える。

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松岡直也 - ハートカクテル - 80s

松岡直也公式チャンネルより「ノックをしなかったサンタクロース」 1986年「ハートカクテル Vol.1」挿入曲 80年代のネタはもうないかなと思っていたところ、不意に見つけてしまう。 松岡直也の楽曲はとくに好んで聴いたことはなかったが、ハートカクテルといえば松岡直也や三枝成彰。 楽曲を聴くと、深夜に寮の部屋で静かに14インチのブラウン管テレビを見ていたのを思い出す。「ジェシィの店」や「シンデレラエクスプレス」などいろいろ。 たしかハートカクテルの前後の時間帯にスキー番組やライディングスポーツ関係の番組、海外リゾート旅の番組などがあったように記憶していて、それらも一緒に思い出してしまうのだ。 ああいう週末の深夜テレビ番組の楽しみは、今はないなあ。 というわけで「ハートカクテル」そのものを見てみたい人は YouTube で検索すれば出てくるからそちらがおすすめ。 こちらは音楽のみの内容です。

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角松敏生 "SATO" 〜 "WAVE"

SATO:1990年リリース・イストゥルメンタル アルバム "LEGACY OF YOU" 収録曲 WAVE:1981年リリースアルバム "SEA BREEZE" 収録曲 そういえば "LEGACY OF YOU" は聴いたことがなかった。 聴いたことがない角松敏生の楽曲は山ほどある。 動画の話だけど・・ オフィシャルではもちろんないけど、この動画は素敵で、たまに見ては癒されている。小田原の海。 80年代、小田原はいつも西湘バイパスで通り過ぎるだけの町で、一度だけ会社からの出張で行ったことがある程度。 それでも小田原の海岸からの風景は見覚えがとてもあり、見ると箱根に遊びに行ったことなどを思い出す。 思い出は美しくなるというけれど、 個人的に80年代の思い出は、それはもう美しくて、 人の営みは無くなったとしても自然は残っていて、残像だけがイメージの上に重なるのですね。 そこにこの音楽が流れるわけです💦

解体されるビルと共に解体される思い出

たしか一昨日、なにげに六本木の街歩き動画を見ていたら、ロアビルに灯りが点いていないことに気づいた。 中は真っ暗だった。 なにやら工事の養生のようなものが見えた。 きょうのローカル番組では、梅田のマルビルにあったディスコの思い出について語っている人がいた。 ディスコの経営者だった人らしい。 僕らのエモい思い出も、ビルの解体と共に解体されてしまうのか。 街の風景が変わり、面影もなくなったあとは、限られた動画と古い写真でしか確認できなくなってしまう。 僕らの青春が存在したかど

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菊池桃子 "Night Cruising"

作詞:藤田 浩一 作曲・編曲:林 哲司 1986年リリース・アルバム "ADVENTURE" 収録曲 菊池桃子のシティポップ・ナンバーを一度まとめてシェアしたことがある。 https://note.com/expwakui/n/nf333059ba304 当時、聴いていた記憶がなかったが、聴くとあの頃の空気感がわーっとやってきて切なくなるね。 とても遠い世界に、ふわふわと浮いている幻想のようだ。 戻りたくても戻れないあの日々に、なんと問いかけようか? 元気かい? 違うか(笑) さようなら、でもない。 確かにいたよね?そこに? あいつとか、あの子とか、 隣に僕が来ているのに、気づかない。 スパークリング持って、ビリヤード越しに、笑っている。 青暗い水平線のなかを、花火を持ってはしゃいでいる。 誰に向かって笑っているの?? とても切ない。いま。

マリーン "Left Alone" と StarDust

1986年の角川映画「キャバレー」は見なかったが、横浜・瑞穂埠頭にある StarDust には行った。 乗っていた友人のクルマはピアッツァ・ネロかもしくはセリカ。 埠頭に止めると後ろからアメリカのパトカーらしきものが追ってきた。夜だからよく見えないのだが、ヘッドライトと何かランプのようなものが点滅していた。 どうやら米軍施設の境界線を越えたらしい・・ かなり驚きながら再び別の場所に車を止めて StarDust に歩み寄り、ドアを開けた。 バーだから当然ながら暗い。 ジュー

僕が80年代音楽を愛する理由

誰でも若い頃に聴いた音楽は一生、心に残ると思います。 それは僕も同じで、自分がいちばん若くて自分の意思で自由に行動できた時期が1980年代で、かつ、あの頃はJPOPが隆盛を極めていました。 ソニーのウォークマンに象徴されるように、どこにいても常に音楽を聴いている、音楽と一緒に生活をしているのが若者のトレンドでした。 自分のなかの美しい体験と同期する1982年に僕は京都の大学に入り、それまでの自宅ローカルでの暮らしから一気にさまざまな人種(日本人)と交わる生活に移行しました。

1988年12月24日(土) スキーの思い出

1988年12月24日のクリスマス・イブも、きょうと同じで土曜日でした。 正確かどうか分からないけれど、その日は軽井沢にある地味で古い和室のコテージを借りてクリスマスパーティーをしていました。 なぜそんな地味なコテージを選んだのか不明だけど、もしかしたら予約が取れなくてそこになったのかも知れません。 おそらく前日の夜に東京を出発して、コテージで一泊して、24日の昼は軽井沢プリンスホテルのスキー場で滑りました。 夕方、コテージで仲間と飾り付けをして、乾杯の頃に「私をスキー