道端で困っている人がいたら手を差し伸べましょう

これは小学生の頃からよく聞いたセリフだ。

横断歩道を渡りきれずにいるおばあさん、段差を登れずにいる車椅子の人、歩道でうずくまっている人…。

向こうから助けはなかなか求められない。だからこっちから声をかけ、手を差し伸べる。

それは確かに大切なことだと思う。しかしそれだけで良かったのは昔の話だろう。

今は、例えば困っていそうに見える相手が実はリハビリ中で、自分の力で階段を登れるようになるため助けてはいけない場合や、席を譲ろうとしたら年寄り扱いされたと不快に思わせてしまい怒られる場合もある。

このように、こちらから行動することが必ずしも善とはいえないのだ。相手にも考えがある。勝手に「この人は困っている」と決めつけてはいけないのだ。

世の中はそういう流れになってきている。学校でもそういうところまで教えた方がいいと思う。

ただ、そうなってくるとかなり判断は難しい。もちろん困っていそうに見える人の大半は、声をかけられたらお言葉に甘えるか丁寧に断るかするだろう。
だが、気を遣わせてしまったり、そもそも困っているというのがこちらの勘違いかもしれない。

中には頻繁に「弱者扱い」されることに辟易している人もいるかもしれない。手を借りるほどではないからほっといてくれと思っているかもしれない。

駅の周辺に多いのだが、若い女性がうずくまっていることがたまにある。だが、男性が声をかけてしまうと嫌な顔をされたり冤罪をかけられる恐れがある。

正義感で動いても自分が大きく損をすることもあるのだ。そのため、自分と相手と状況をよく考えることが求められる。

積極性は大事だが、必ずしも自分が声かけチャレンジをする必要はない。
実は困っていないことや、他の誰かが助けてくれることを祈ってスルーすることも大事だ。

ただ、声をかけられる側も、例え困っていなかったとしても不躾な対応をしてはいけないと思う。向こうは親切心で声をかけてくれたのだから、それを無下に扱うのは失礼だし、そういうことをする人がいるせいで声をかけるのが怖いと、不寛容な世の中になっていくからだ。

要はどちらの側も相手を思いやって行動することが大切なのだ。この世界が、恩の押し付けも仇で返すこともない優しい世界であることを祈る。

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