悪しき上下関係の風習を終わらせるときの補償の必要性

中学や高校で、

「一年生はこの廊下を通ってはいけない」

「先輩が通ったら後輩はお喋りをやめてお辞儀し続けないといけない」

「下級生は部活の最初に上級生の前で一発ギャグをやらされる」

のような、生徒の間で発生した謎の風習があった人は少なからずいるのではないだろうか。

後輩の内は不便さや理不尽さに不満を抱きながらも従うしかなかったと思う。
そして先輩になると今までの鬱憤を晴らすように後輩に自分達がされてきたことを押し付ける。

そうやって憎しみが再生産され続けていると、あるとき一人の教師が言うことがある。

「何そのルール!?そんなの無いから。はい、今日から誰でも廊下使っていいよ!」

後輩には偉そうにしていた三年生も、教師には勝てない。忌まわしい風習はそこで無くなることだろう。

後輩はただただ嬉しいと思う。面倒なことが無くなって自由に過ごせるようになったからだ。

しかし、三年生たちは面白くない。自分達が後輩の頃は先輩の束縛の中で過ごし、ようやく自分達が三年生になって特権を得られると思ったらその風習が無くなってしまったのだから。

この状況に対し、

「でもそんなこと言ってたらいつまでも良くならないじゃん。」

そう言うことは簡単だろう。風習が無くなり得をする代の子たちはなおさら気軽にこう言うかもしれない。

しかし、損をする代の子たちには実際 不満が募る。それをそのままにしておいて、果たして良い環境は作られるだろうか。

世代間の対立は深まり、隠れたところでイビリや憂さ晴らしが増えないだろうか。

私はこのような場合、その損をする代の子たちに何らかの補償をしてあげる必要があると考える。

その方法は何でも構わない。授業を一コマだけ自由時間にするとかそういった、他の学年に影響しない学校で出来る補償だ。

そうすれば損をする代の子たちも納得がいくはずだ。悪しき風習を終わらせること自体の大切さは当人たちも頭では分かっているのだから。

これにより、確執を生むことなく悪しき風習を終わらせることが出来ると私は考える。

また、何らかの変更により損をする人に補償が行われることは社会的に当然であるはずで、それを子供たちに教えるきっかけにもなるのだ。

例えば任天堂は、3DSの販売価格を25000円から15000円に値下げしたとき、25000円の内に買った人には無料ダウンロードソフトなどを配布して補償を行った。


ちなみに、本来はその悪しき風習を最初に行った代の子たちが補償をさせられるべきであるはずだ。しかし、当然だがその子たちはとっくに卒業している。償わせることは不可能だ。

初めの代だけがやり得になってしまうのは悔しいが、どうしようもないことを言っていてもしょうがない。損をする代の補償は学校から、必ずなされるべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?