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大阪関西万博が目指す「真の豊かさを感じられる生き方」

 2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の登録申請書を6月開かれるパリのBIE総会に提出し承認を得るスケジュールだったが、どうやらコロナの影響でBIE総会は延期になってしまった。ドバイ万博も1年延期が決定したので、今後の招請活動は大幅に遅れ心配だ。

 大きな万博は2025年の大阪関西万博で日本での開催は3回目となった。大阪関西万博のテーマ・サブテーマ・コンセプトは
テーマ :いのち輝く未来社会のデザイン
“Designing Future Society for Our Lives”
サブテーマ:多様で心身ともに健康な生き方
持続可能な社会・経済システム
真の豊かさを感じられる生き方、それを可能にする経済・社会の
未来像を参加者で共創。
コンセプト:未来社会の実験場 “People’s Living Lab“テーマ :いのち輝く未来社会のデザイン
“Designing Future Society for Our Lives”

 ここで言う「真の豊かさを感じられる生き方」ってなんだろう。私が2005年愛・地球博のオーガナイズに2年間携わって感じたのは、

「いろいろな世界の価値観に触れて、自分の価値観を再認識して、自分が活き活き行ける世界を見つけて、そこで輝き生きる事」

 これが「真の豊かさを感じられる生き方」だと思う。私自身、協会の中で出展参加国のコンタクト窓口であるリエゾンオフィサーという仕事をしていて、本当に会期中は物凄い忙しさだったが、出展参加国の多くの方々がAppreciateしてくれた事で、自己肯定感を認識する事ができ、毎日が活き活き日々過ごしていた。万博という国家プロジェクトの中で「活私奉公」の精神で充実して日々を過ごしていた。

 また市民ボランテイアも愛知万博には多くの方々に参加して頂き、それぞれの持ち場で、皆さん活き活き素晴らしい活動しておられた。ボランテイアゆえ、決して誰かから押しつられた仕事では無く、自分で手を挙げてしている仕事なので皆さん本当に楽しそうに仕事されていた。

 日本の今までの社会は決められた枠組みの中で、まわりのいわゆる常識というスタンダードを基準とした社会の中に私も含めて人々は生きてきた。その中で個人個人の価値観は時に社会常識の前に無力で放棄せざるを得ない事も多々あった。個人の価値観と自分の得意分野は密接に関係しているから、人々はやりたくない事、不得意な事もやむを得ずしてきた。

 例えば小学校の時は、全員国語算数理科社会を強制的に勉強させられた。私は算数が得意で、国語が苦手、理科社会はまあまあ、例えばテストの点が算数が100点、国語が20点、理科社会が60点だったとする。先生は「算数はもう勉強しなくていい。国語だけ勉強しなさい」と言う。そして私は一番好きな算数の勉強を我慢して、一番嫌いで不得意な国語に時間を多く割かざるを得なかった。先生にしてみれば、生徒全員が全科目そこそこの点数が取れるようにクラスをマネジメントする事が目標だっただったのだろう。しかし「成長期の子供の一番貴重な時間を一番苦手で好きでない事に費やす事」、それは何の意味があるのだろうと今は思う。 もしあの時大好きで得意な算数を集中して勉強していたら、もしかしたらスゴイ数学者になっていたかも知れない。

 会社員になっても同じように人事評価制度も企業が作る製品の品質のように社員の均一化を目指す仕組みになっている気がする。「やりたくない仕事、苦手な仕事はやりませんーん」という社員は会社員失格だ。

 しかし各人が自分の価値観を持って、信ずる事、やりたい事、得意な事を全員が徹底的にやるという社会はどんな社会なんだろうか?なかなか現実的にそういう社会の実現は難しいかも知れないが、物凄い力が発揮される社会になるのではないか?

 万国博覧会はお祭りであり、壮大な実験の場でもある。できるだけ多くの市民にいろいろな形で参加してもらい、自分の理想に沿ったやりたい事・得意な事を万博というィベント、実験場の中で活き活きと発揮して欲しい。それこそがすなわち新しい万博が目指すべき「真の豊かさを感じられる生き方」になるのかも知れない。

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南太平洋共同館のアテンダントメンバーと

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